「社員の声を聴きまくれ!」-企業変革への第一歩

HCLテクノロジーの変革

インドはベンガル州、ノディアを本拠とし、近年目覚しい躍進を遂げてIBMなどグローバル大手からも一目置かれているITアウトソーシング・サービス・プロバイダー、HCLテクノロジーという会社をご存知だろうか。つい先日、東京出張の際に同社のCEOであるヴィニート・ナイアー氏の著書『社員を大切にする会社-5万人と歩んだ企業変革のストーリー-(英治出版、穂坂かほり訳)』を手にとった。企業文化に関連する本は日本語、英語を問わず一通り目を通すようにしているのだが、今まで数多と読んだ本の中でも、目の覚めるようなひらめきと共感を数多く与えてくれる刺激的な本だった。同書では「企業文化」という言葉は使われていないものの、私にしてみればこれはつまるところ企業文化育成の本だ。新しい時代に対応する戦略的な企業文化を築く上で実践に役立つ教訓が詰まっている。今日は、同書を読んで心に強く感じたことを書いてみたいと思う。

まず、「何が書かれている本なのか」ということを簡単に説明すると、これは、30年の歴史をもつ大手成熟企業が、経営陣や管理者層がすべての権限を握る従来の階層的な組織構造をかなぐり捨て、『従業員第一、顧客第二、マネジメント層第三』という経営理念を掲げて、衝撃的な変革を遂げた顛末を実にわかりやすい言葉で書いた本である。とくに、CEOであるナイアー氏のごく個人的な自問自答や試行錯誤が率直に述べられている点が共感と感動を呼ぶ。

オーソドックスなヒエラルキーをひっくり返し、社員が頂点に立つ「逆ピラミッド型」の組織構造をつくるという話は実はよく聞かれる。しかし、理屈はともかく、それをいかに実践するのか、というところが肝となる。同書では、実際に顧客に価値を創出している現場の人間に権限、責任、アカウンタビリティが帰属する組織をつくるためにナイアー氏が行ったことの数々が解説されている。そして、その中でも「企業変革のための実践的なエッセンス」としてひときわ私の心の中に残ったのが、「社員の声を徹底的に聴く」という同氏の姿勢と仕組みであった。

おざなりにされる「社員の声」

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログなどのソーシャル・プラットフォームの普及により、顧客の声のもつ影響力が強大化するにつれて、「顧客の声を聴く」ことの重要性については近年盛んに話されるようになってきた。一歩進んで、「顧客の声を活用する」ということについては大いに改善の余地があるにせよ、多くの企業が、従来型の「VOC(ボイス・オブ・カスタマー)」プログラムに加えて、ウェブでのモニタリング・プログラムなども積極的に設け始めている。

その一方で、「社員の声は?」となると、大半の場合見過ごされてしまっている。これは、とんでもない「宝の持ち腐れ」ではないか、というのが、私が同書を読んで改めて得た印象である。

『CEOの役割とは社員に力を発揮させ、彼らが自分でアイデアを思いつき、仕事に全存在を投入し、変革を起こす権限を受け入れることができるよう支援することである。』

CEOの役割を再定義する

この考え方を基盤に、ナイアー氏は、「社員の声を聴く」ための仕組みを次々と考案し、導入していく。同氏の言葉を借りると、それは、「ピラミッド型組織をひっくり返す」ための『触媒』であった。

例えば、社員が質問を投稿し、CEO並びに経営陣がそれに答えるというオンライン・フォーラム。U&I(あなたと私)ポータルと呼ばれるこのフォーラムは、当初、社内の透明性を高め、社員と経営陣の間の対話を促進する目的で始められたが、のちに、ナイアー氏は、同サイトの中に「私の質問」というセクションを設け、CEOが答えられない、もしくは自分で解決できない問題に対して社員の意見を求めることを始めた。経済危機の只中にあっては、「景気後退の脅威にどう対応すべきか」と社員の意見を仰いだところ、経費削減のアイデアが無数に寄せられ、そのうち15件が採択、実践されて成果をもたらしたという逸話がある。

実践が示すメッセージの威力

「社員の声を聴く」という試みとしてナイアー氏が行ったことは他にもたくさんあり、その詳細は是非、同書を読んで学んでいただきたい。しかし、最も注目すべきは、同社が社員の声を聴くためにどんな仕組みを用いたのか、その仕組みそのものではなく、その実践が社員に伝えたメッセージとその威力である。

例えば、CEOが「答えられない、あるいは解決できない」質問について社員の意見を仰ぐという仕組みは、「CEOだけが企業変革に必要な知恵や権限を持っているのではなく、むしろ、変革の責任と権限は全社員に委ねられている」というメッセージを強烈に打ち出した。

また、先に述べた例では、経済危機の只中に、「景気後退の危機を乗り越える方策」を社員に問いかけることによって、優れた経費削減のアイデアを得られたというばかりではなく、社員のモチベーションを上げ、業績向上をもたらす結果となった。「不況を乗り切るには」という会社の経営に関わる深刻な難題を投げかけられたことによって、社員は「頼りにされている」と感じ、売上に貢献しようとより一層の意気込みをもって顧客の価値創造に励んだというのだ。同じ時期、多くの企業では不況への対応策を講じる話し合いが会議室の閉ざされたドアの向こう側で行われ、これが社員の不安を煽り、やる気と生産性を減退させる原因となった。競合がマーケットシェアを失う中、HCLテクノロジーが目覚しい成長を続けたことは言うまでもない。

同じような逸話は、卓越した企業文化で知られるアメリカの航空会社、サウスウエスト航空の社史にも存在する。2001年の同時多発テロ以降、アメリカの航空業界を凄まじい不況が襲い、多くの航空会社が人員削減を余儀なくされた時、サウスウエスト航空は人を解雇せず、なおかつ赤字を出さなかった唯一の航空会社であった。同社の経営陣は、会社が深刻な経営難にあることを社員に開示した上で、人員削減は行わないと断固として宣言したが、社員はその誠意に応え、合計130万ドル相当の自主減俸を申し出たのである。会社の経営に参加する責任と権限を委ねられたとき、社員がいかに大きな力を発揮するかを物語る逸話である。

飛躍する会社は、社員の声を聴く会社

考えてみれば、苦境を乗り切り、飛躍する会社は、社員の声を聴く会社である。前述のサウスウエスト航空も然り。ある時、同社が米国航空業界標準の予約システムから締め出しを受けたことがあった。予約システムに登録されないということは、自動発券ができないということ。その不便さに、旅行代理店からサウスウエストに苦情が殺到した。創設者のハーブ・ケレハーは、早速この解決策について社員の意見を仰いだところ、のちに同社を有名にした「チケットレス・システム」が社員の声から生まれたという。それもそのはず。ハーブ・ケレハーをはじめ同社の経営陣は、常日頃から社員の声を奨励し、社員からのメールにはCEOであろうと一週間以内に答えるという習慣を実践していたらしい。このような姿勢が、社員のやる気と責任感を高め、自主的な価値創造活動へと社員を駆り立てていたのである。

かのザッポスも、社員の声を聴くことに関しては極めて貪欲である。ザッポスでは、略称『ハピネス・サーベイ』と呼ばれる社員意識調査を毎月行っている。社員の「幸福度」を測定するためのサーベイであり、質問は五問。三つの選択肢の中から一つを選ぶという簡単なもので、「五秒間でできる」というのが売りのポイントである。サーベイの集計結果は全社員にメール送信される。また、自由コメント欄もあり、社内の「幸福度」を向上させるための提案や改善点を自由に書き込める。寄せられた提案には、然るべき部門/部署/役職の担当者から漏れなく返答があるという。

また、ザッポスの場合、社員の声を聴く仕組みはサーベイだけに限らない。サウスウエスト航空と同様、社員の誰もが、CEOを含む経営陣の誰にでも直接メールを送り、意見を述べたり、質問をしたりすることができる。また、『なんでもきいてみよう』と題する社内ニュースレターがあり、社員から寄せられた質問と経営陣の回答が毎月全社員に送信される。さらに、ザッポスの壁のないオフィスでは、社員の誰もがCEOの席に赴き、「物申す」ことが可能である。

かのウォルマートも「オープン・ドア・ポリシー」を謳っていて、創設者であるサム・ウォルトンの時代からの伝統らしいが、サウスウエスト航空やザッポスとはかなりプロセスが異なり、意見や質問は必ず正式な命令系統に則って行われなくてはならない。つまり、意見や質問があったらまず行くべきは直属の上司のところであり、垣根を跳び越えてCEOや部門長にいきなり直訴することはできないということである。

組織が大きくなればなるほど社員の声がトップに届きにくくなるのが常だが、共に机を並べて働いているから、「声が聴こえている」と思ったらそれは間違いだ。たいていの職場は、信頼関係の破綻を根本的な問題として抱えている。毎日、顔を合わせているからといって、一体どれだけの社員が上司や同僚に「本音」で話せているだろうか。だからこそ、サーベイなどの仕組みは、安全な環境のもとで自由に物申す機会を社員に与えるのである。

『人は自分のしていることに情熱と責任を感じるとき、会社を変革できるだけでなく、自分自身をも変革できる』というナイアー氏の言葉は経営者としての私の心にも強く響いた。社員一人ひとりが、「自分の」会社であり、「自分が」会社を変えることができると信じた時、はかり知れない底力を発揮することができる。「市場縮小時代」などと言われるが、勝算ゼロの市場においても飛躍を続ける企業においては、社員が経営の主役なのである。社員の英知や情熱の邪魔をせず、社員がその責任と権限をまっとうする環境をつくること、それこそが経営者の仕事なのだと、同書を読んで改めて確信させられた。