アメリカでの起業体験:その1

私はアメリカの企業で働き、その後、アメリカで自分の会社を設立して以来、かれこれ25年以上が経ちます。長年アメリカで暮らしていますが、心はやはり日本人であり、日本人としての誇りを持ちつつ、会社を経営しています。

私がアメリカに永住することになったきっかけは、アメリカで最初に勤めた会社でのある経験でした。

大学院を卒業して最初に勤めたその会社で、入社直後に、「これから半年間、会社の中の様々な仕組みを勉強して改善策を提案するように」、と言い渡されました。

私は学校を卒業したばかりで、実務上の経験はまったくなかったのですが、実践を通して学べることをできるだけ学ぼうと、会社の中の生産システムや情報システムについて死に物狂いで学び、半年後に、会社役員を前に成果を発表する機会を与えられました。

この会社は、RVの窓を製造している米国企業で、全米に工場が6、7軒あるくらいのそれほど大きな会社ではありませんでしたが、学校を卒業したての新米を信頼して、そんなチャンスを与えてくれるアメリカという国にとても感動しました。実は、私は、アメリカの会社に勤め始めた当初は、ある程度の期間アメリカで働いて経験を積んだら、日本に帰国するつもりだったのですが、それがきっかけとなってアメリカに永住することを決めたのです。

アメリカでの起業は日本と異なるところがたくさんあります。例えば、ビジネスの慣習ひとつをとっても、アメリカと日本とではまったく違いますし、日本はまだまだ比較的単一民族社会ですが、アメリカ、特にロサンゼルスは多種多様な人種が共存する多民族社会であるなど、根本的に大きな違いがあります。

いろいろな意味で大変さはあるものの、日本人として、海外でビジネスに挑戦するというのは、日本での起業では得られない独特の醍醐味があります。

今から25年前、「日本とアメリカの架け橋となるビジネスをしよう!」と思い立った時は、まさしく「一大決心」でした。

当時私は収入やステータスという意味でも、アメリカの会社である程度良い仕事についていて、安定した生活を送っていたからです。仕事を始めた当時は、「アメリカという土地で、アメリカ人としてキャリアを切り開いていくのだ!」と考えていましたが、ある時ふと、「日本人として、自分の能力や経験を活かし、社会貢献できるような仕事はないか」と考えるようになりました。

そうして考えた時に、自分が日本で生まれ、日本の社会や文化という基盤をもち、日本語を話し、そして何より、日本とアメリカのビジネスの両方を理解している、ということが、何にも勝る自分の強みであると認識しました。そして、自分の価値を最大に活用したい、という強い願望から、日米間ビジネスの架け橋となる会社を立ち上げました。