月刊『アイ・エム・プレス』 : No.4 「個」のサービス体験を目指して – 後編「ソーシャル時代のカスタマー・リレーション」

*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(181, 2011-6)に掲載されました。

顧客の「個」×働く人の「個」

人間は所詮、感情の動物です。低価格や便宜性は論理的な評価にはつながっても、顧客の心を動かすものではありません。21世紀もすでに10年が経過して、もう、「21世紀には」などと言うのもはばかられますが、新しい時代には、「顧客の心を動かすこと/とりこにすること」が企業にとっての戦場になります。そして、顧客の心に訴えるためには、働く「人」の力が必要なのです。

前編でも述べましたが、サービスの質は、受け手の主観によって決まるのです。ですから、サービスの提供者は、一人ひとりの顧客をとことんまでよく理解しなくてはなりません。そう考えると、「スターバックスのドリンクが8万7,000種類ある」ということくらいで驚いているわけにはいかなくなります。サービスの場合は、受け手の数だけ異なる体験があって然るべきなのです。

しかし、ザッポスのような会社は、アマゾンのジェフ・ベゾスが言うところの「300万人の顧客がいれば、300万通りのストアが必要」という考え方を、さらに一歩前進させました。

ザッポスのCEO、トニー・シェイは、「顧客の『個』に対する対応」ということに加えて、「オペレータが400人いれば、400通りの“味”があって然るべき」と唱えています。つまり、各オペレータが独自の個性や感性、知性を発揮して、さらに顧客の「個」に対応してこそ、真の意味で「唯一無二」のサービス体験を提供できるということです。つまり、仮に400人のオペレータが5,000人(ザッポスのコンタクトセンターが1日に対応する平均コール数)の顧客に対応すると、200万通りのサービス体験が生まれるということになります。
「ブランド化」されたサービス体験

では、いかにして、働く人の「個」を生かしつつ、同時に「ブランド化」されたサービス体験を提供するのか。それが大きな課題になります。

ザッポスでは、「ブランド=企業文化」だと言っています。企業文化を堅固にすれば、すべての結果は後からついてくるのだと。共通の価値観を共有した人たちが、お客さんと向き合ってサービスを提供すれば、個々の顧客のニーズや状況によってサービスの行為自体は異なっても、ザッポスならではの価値観という「スジ」の通った、「ブランド化された」サービス体験が提供できるということなのです。

ザッポスをはじめとして、ディズニー、リッツ・カールトン、コンテイナー・ストア、バージン・グループなど、ブランド化された顧客サービスを誇る企業の多くが、共通の価値観を会社の隅々にまで、そして働く人たちの一人ひとりにまで浸透させ、現場で具現化してもらうための循環を確立しています。私は、その循環とは、次のようなものだと思っています。

価値観の定義⇒ 価値観に基づく「考え方」の習慣付け⇒エンパワーメント+実践⇒ サクセス・ストーリーの共有⇒企業文化(ブランド)の強化/向上

もちろん、会社の文化に合った人、つまり、価値観を共有できる人を厳選して採用することがスタート地点になるのですが、その後の人材育成のプロセスは長期間継続し、根気を要するものです。ただ、スクリプトやルールブックを渡して丸暗記させるということではなく、「考え方」を身に付けさせるのですから、社員研修のやり方もまったく異なってきます。

例えば、ザッポスの新入社員研修では、企業文化の中核となる価値観(コア・バリュー)や会社の歴史を学ぶことのほかに、役職や所属部門にかかわらず、すべての人がコンタクトセンターでのトレーニングを受けます。クラスルームでのロールプレイに始まり、2週間にわたって、実際の顧客対応に携わるところまで学びますが、ロールプレイでも実地でも、問われるのは「何をどう考えて、どういう行動をとったのか」「その行動はどのコア・バリューに則ったものか」「もし、結果としての行動が“ザッポス的”でないとしたら、それはなぜか。どのコア・バリューから外れているのか」ということであり、単なるパターンの学習ではありません。

衣料の収納システムから旅行カバンに至るまで、「コンテイナー(入れ物)」というコンセプトで小売業を展開する全米チェーン、「コンテイナー・ストア」には、「会社創業の原則」と呼ばれるものがあります。その中の1項目は、「砂漠で道に迷った人」というもの。コンテイナー・ストアでは、新入社員研修に限らず、日々の業務ミーティングの中でも原則の中の一節を取り上げ、活発なディスカッションが行われます。

砂漠で道に迷った人には、何をしてあげるのが適切か。ごく平凡な答えは、「水をあげる」というものだろう。でも、もしかしたら、その人は喉が渇いているばかりではなく、おなかもすいているかもしれない。ならば、水だけではなく、何か食べる物もあげたらもっと喜んでくれるのではないか。また、水や食べ物をあげるだけではなく、砂漠から抜け出す道を教えてあげたらどうだろうか…。いろいろと思いをめぐらせると、無数の可能性が生まれてきます。

「砂漠で道に迷った人には水をあげなさい」と教えるわけではない。「正解」はひとつではなく、むしろ、「砂漠で道に迷った人」の身になり、その人が望んでいること、あるいはその人に最も大きな価値を提供することは何かを考える、その姿勢を教え、考え方を「身に付けさせる」ことが、ザッポスやコンテイナー・ストアに共通する「人材育成」の方法なのです。
自由な発想と実践を促す環境づくり

バージン航空、バージン・メガストア、バージン・モバイルなど、幅広い事業展開で知られるイギリスのビジネス・コングロマリット、バージン・グループの創設者兼会長、リチャード・ブランソン氏は、唯一無二のサービスを実現する上で重要な要素として、第一に企業文化、第二にエンパワーメントを挙げています。「会社の中の一人ひとりが、より優れたサービスを提供するために何ができるか、進んでアイデアを創出し、提案するように促すこと。リーダーが社員の声に耳を傾け、社員の声が常に重要視されていること、間違った答えなどないこと、何を言ってもとがめられたり、辱められたりすることは決してないことを伝えていくことが必要だ」と同氏は語ります。

こういったオープンな環境の中で、サービスの現場に立つ「フロントライン従業員」たちは、自由に発想し、自分が「良かれ」と思うことをどんどん実践していきます。それが顧客の感動を呼び、伝説が生まれ、社内、そして社外にも語り継がれて、血の通ったブランドとなり、社員同士のインスピレーションを誘発していくわけです。

価格、商品、機能性、サービス・ポリシー、ITシステムに至るまで、容易に模倣が可能な時代になっています。そこで、他社に差をつけ、顧客の心の中に「オンリー・ワン」のポジションを築くには、働く人の力を活用する以外にすべがありません。従来的な意味での「サービス業」に限らず、製造業、小売業、政府機関や学術機関に至るまで、人の力を生かす基盤となる企業文化、そして、それに則った人材育成の仕組みを確立し、磨いていくことが、長期的繁栄を目指す組織にとっては欠くことのできない絶対条件になっていると思います。

*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(181, 2011-6)に掲載されました。