月刊『アイ・エム・プレス』 : No.3 「個」のサービス体験を目指して – 前編「ソーシャル時代のカスタマー・リレーション」

*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(180, 2011-5)に掲載されました。

商品からサービス体験へ

カップのサイズはもちろんのこと、ミルクの種類やトッピング、甘味料の種類まで選べるスターバックスのドリンクは、しばしば、そのオーダーの複雑さがジョークのネタにされるくらい、商品の「マス・カスタマイゼーション」を徹底的に追求しています。スターバックスの発表によれば、そのドリンク・コンビネーションはなんと8万7,000通り。その数値の真偽のほどは定かでないにせよ、スターバックスは、まさしく商品のマス・カスタマイゼーションを究極の境地にまで突き詰めたと言えます。

「人の個性や嗜好はそれぞれ異なる」というのが、商品のマス・カスタマイゼーションの背景にある理論です。双子の兄弟ならばまだしも、例えば、他人とまったく同じ格好をさせられていい気持ちがする人はひとりもいないでしょう。人間、誰しも個性を表現したいと思っています。自分らしいものを身に付け、自分のテイストに合った音楽を聴き、自分の口に合うものを食べたいと思っているのです。それがわかりやすい理論だからこそ、今日まで、飲食物をはじめ、化粧品、靴、アパレルなどさまざまな商品カテゴリーで、「マス・カスタマイゼーション」の効率化をめぐる挑戦が繰り広げられてきました。

この考え方を、「ショッピング・エクスペリエンス」に当てはめたのがアマゾンです。ネットの巨獣、アマゾン・ドット・コムの創設者兼CEOのジェフ・ベゾスは、かつて、「300万人の顧客がいれば、300万種のストアがあるべきだ」と唱えました。この考え方に則り、アマゾンは、「ショッピング・エクスペリエンスのマス・カスタマイゼーション」を実現した最初の企業であったと言えます。
サービスの質は、受け手の主観で決まる

しかし、サービスの分野ではどうでしょう。「人の個性や嗜好はそれぞれ異なる」というのは、商品についてはもちろん、サービスにはなおさらよく当てはまる言葉です。そして、サービスの質ほど、受け手の主観的判断に任されるものはありません。

受け手の性格や嗜好もそうですが、サービスの場合、要求されるものは状況によって180度違ってきます。例えば、スーパーのレジでの顧客と店員のインタラクションを考えてみます。普段は社交的でおしゃべりなお客さんでも、急いでいる時に店員にムダ話をもちかけられたら、いらいらするでしょう。反対に、時間に余裕がある時に、店員がただビジネスライクにレジをたたき、合計金額を告げるだけだったら、冷たく無礼な印象さえ受けるかもしれません。

性格や嗜好ならある程度の「データ分析」が可能ですが、「状況判断」は機械やアルゴリズムには難しいものがあります。さらに、人間は「感情」の動物であり、「感情」の微妙な濃淡を読み取るのは、生身の人間でなければできない技です。

コンタクトセンターをはじめ、ファストフードの店頭など、現状、多くの顧客サービスの現場は「マニュアル化」されています。オープニングのあいさつから、衝動買いを促すセールストークに至るまで、一字一句がスクリプト化されていることも珍しくありません。これは、工場のアッセンブリー・ラインに等しく、サービスの「量産」です。効率のみを考えてパターン化されたサービスには、魅力もなければ感動もありません。働く人の「人間力」を最大活用すれば、それが顧客の心に触れるオンリー・ワンのサービスになり得るのに、現場に立つ「人」を型にはめ、画一化するシステムのもとでは、宝の持ち腐れになってしまっています。
「セルフ・サービス」の盲点

2008年頃のこと、アメリカでは、店内の情報キオスク端末や、Web上のFAQ(よくある質問と回答)、あるいはコンタクトセンターのIVR(自動音声応答装置)などを活用した「セルフ・サービス」型顧客サービスという概念が盛んにもてはやされました。日本語には未訳ですが、『The Best Service is No Service(最高のサービスとは人を介した顧客サービスをなくすこと!:筆者訳)』などという題のビジネス書までお目見えして、高い評価を受けました。

「セルフ・サービス」型顧客サービスの背景にあるのは、「1.顧客の期待を正確に把握し、それを確実に遂行するシステムをつくり込むことにより、顧客サービスの提供における人の介入を最小化し、効率化を図る」、そして、「2.間違いが起こった際に、その間違いが何であり、なぜ起こったのかを分析し、問題発生の根源を取り除くべく、システムに改善を加える。継続的改善を行うことにより、ゼロ・ディフェクト(無欠陥)の実現に努めていく」という原則論です。

かつて、コンタクトセンターの電話番号を自社サイトに掲載さえしなかったアマゾンは、この「セルフ・サービス」原則論の熱心なアドボケート(提唱者)であり、パイオニアでもありました。コンタクトセンターの電話番号をサイトに掲載しない理由を問われて、「アマゾンでは、問題が起こった際にその根源を解明し、同じ問題が二度と起こらないようにシステムに改善を加える。限りなく完璧に近いシステムをつくり込むことにより、顧客が電話をかけねばならないという必要性を根絶するのだ」とアマゾンの担当者が語ったというのは有名な話です。

そもそも、顧客に「電話したい」という気を起こさせない完璧な顧客エクスペリエンスの提供、そして、顧客の期待に抜かりなく応えるシステムの構築。それは実現可能であれば、なるほど理にかなった考え方であるように思えます。

しかし、残念ながら、今日存在する「セルフ・サービス」型顧客サービスの多くは不完全なものです。例えばIVRにしても、ロボットのような無機質な声が繰り返す選択肢からどうしても自分の求めるものが見つからない、あるいは、口座情報、認証情報、氏名、住所、電話番号などあらゆる情報を何分間もかけてインプットさせられた挙句、やっとオペレーターにたどり着いたと思ったら、また同じ情報の提示を求められた…などの経験をして、怒りやいら立ちを感じたことのある人も決して少なくはないと思います。

また、たとえ完璧な「セルフ・サービス」型顧客サービスを実現したとしても、それが顧客にとってどの程度の価値を生むでしょうか。例えば、昨今ではすっかり普及したATMは、単純な用事を列に並ばずにスムーズに、スピーディーに遂行できるという「コンビニエンス」を生活者に与えました。また、システムの提供側(この
場合は金融機関)にしてみれば、人の介入を省くことによるコスト削減というメリットは生んでいると思います。しかし、ATMが出回り始めた70年代ならいざしらず、現在、ATMの価値をとりたてて評価する人はいません。ATMの存在が「当たり前」になった今では、その価値は希薄化されてしまったということです。

いかなるシステムもいずれは模倣され、価値の希薄化を生む危険性を秘めています。昨今では、価格も、商品も、機能性も、サービス・ポリシーも軒並み平準化して、生活者にとってはあらゆる価値が希薄化しています。低価格や便宜性では、もはや顧客の心を動かすことは難しくなったということです。他社との競り合いの中で「突出」することが極めて困難になっています。そこで問われるのが、「人」による価値の提供です。(後編に続く)

*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(180, 2011-5)に掲載されました。