ザッポスCEOトニー・シェイが「少年起業家」としての経験から学んだこと

(2010. 4. 8)

ザッポスCEOトニー・シェイによる著書『Delivering Happiness(邦題:ザッポス伝説)』の出版にちなんで、ラスベガスにあるザッポス本社を訪問し、ザッポスCEOトニー・シェイにインタビューをしてきました。本の事から始まり、企業文化について、リーダーシップについて、「幸せ」に関するトニー自身の哲学について、そして彼のプライベート・ライフについてなど話は弾み、1時間が瞬く間に過ぎてしまいました。このインタビューの模様について、何回かに分けて書いて行きたいと思います。今回はその第二回目ですが、「シリアル・アントレプレナー(連続起業家)」としてのトニーの少年時代に迫ります。インタビューを終えて私が感じたことや、読者の皆さんに知って欲しいことなども、括弧に入れて注釈的に書いてみました。

zappos ザッポスCEO トニー・シェイと石塚しのぶ

石塚:
『Delivering Happiness(邦題:ザッポス伝説)』は、アマゾンによるザッポス買収完了のニュースが、全社員ミーティングで発表されるシーンから始まりますが、本を書こうと思ったタイミングと、アマゾンによるザッポス買収のタイミングとの間に何か関連性はありますか。

トニー・シェイ:
ないですね。アマゾンによる買収のニュースが公式発表されたのが2009年の7月。僕が本の執筆に着手したのが9月ですが、二者の間に関連性はありません。本の中には、確かに買収発表の話は出てきますが、それもごく短いものですしね。(注:個人的には、アマゾンへの売却の話がまとまったことが、トニーの中である種の「区切り」となったのかな、と思っていました。もしそうだとすると、ザッポスが大きく変わってしまうのではないか、という不安も感じていました。)

石塚:
トニーは、子供時代から、「シリアル・アントレプレナー(連続起業家)」としていろいろなビジネスに挑戦していたそうですね。本の中にも、ミミズを育てる話や、ガレージ・セールの話、また、郵便配達の話など、子供時代に挑戦した様々な「ビジネス」や、大学卒業後に起業したリンク・エクスチェンジ、そしてザッポスに至るまで、いろいろなビジネスの話が出てきますが、こういったいくつもの「起業経験」の中で、最も思い出深いものは何でしょう。また、そこから学んだ教訓などあれば教えてください。

トニー・シェイ:
一番思い出深いのは、中学生の頃にやったオリジナル・ピン・バッジ・ビジネスです。写真とか、バッジに加工したいものをお客さんに郵便で送ってもらって、それをバッジにしてまた郵便で送り返すという、いわゆる「通販ビジネス」です。その経験から、お客さんと面と向かって会わなくても物が売れる、「通販」というビジネスが成り立つのだということを実感しました。考えてみれば、この時の成功が、「靴の通販ビジネス」であるザッポスに投資する上でのきっかけになったと言っても間違いじゃないかもしれません。

石塚:
なるほど。何より、子供時代に挑戦したピン・バッジのビジネスが一番思い出深いということですね。

トニー・シェイ:
そうですね。単なる「アイデア」として始まったことが、実際にやってみたら、ビジネスとして成立した、ということが、僕にとっては非常に刺激的だったんです。やり始めた当初は、月収数百ドルのビジネスになるなんて思ってもみませんでしたから。(注:お客さんから徴収するお金はバッジ1個あたり1ドル。バッジの仕入れ値は25セントで、返信用封筒はお客さんから送ってもらうので、もうけは75セント、というビジネスだったそうです。)

Ub|XZ~i[石塚:
あなたの子供時代のビジネスを見ていると、ただ、「収入を得る」ということが動機になっているものと、「趣味と実益を兼ねる」というか、「楽しみながらお金が儲かる」ということを追求したものと二種類あると思うのですが、子供の時には、どちらの方により強い関心を持っていたのでしょうか。例えば、「新聞配達」というのは、ただ「収入を得る」という目的を追求したものという気がするし、一方、「ミミズの養殖」みたいなものは、「趣味と実益」という部類に入るように思うのですが・・・。

トニー・シェイ:
「お金を儲ける」ことに興味があったのは確かですね。ただ、その一方で、クリエイティブに考えること、いろいろなアイデアを実行に移して、うまくいくかどうか試してみることを、ものすごく楽しんでいたと思います。

zappos ザッポスCEO トニー・シェイ

(注:インタビューの第一回にも書きましたが、トニーは、父親が化学技術師、母親が臨床心理士という、比較的裕福な家庭に育ちました。だから、別にお金に困っていたわけではなく、彼にとって、「お金を儲ける」ということは、「自分がやりたいことを自由にできる」という意味をもっていたようです。「典型的なアジア系アメリカ人の家庭に育った」とトニーは言うのですが、「お金のことは何も心配しなくてもいいから、とにかく学業に専念するように」と言われて彼は育ったようです。「医者になるか、博士号をとるか」というのが、ご両親が彼に対して抱いていた期待で、「大学院を出るまでは学費も全額払ってやる。好きな服でも何でも買ってやるから・・・」と言われて育ったそうですが・・・。考えてみると、子供の頃から次々といろいろなビジネスに手を染めた、というのは、親の期待への一種の反抗でもあったのかなと思います。「真面目で行儀のよい優等生」というよりは、意外と「悪ガキ的」な天才少年だったのかなあ、トニーは・・・。)

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