ザッポスが実践するコア・バリュー(価値観)マーケティング

新しいマーケティングの境地を拓く、ザッポス

最近、アメリカでも日本でも、「クラウド・コンピューティング」が毎日のように話題にのぼっている。その多くは、ウェブのネットワーク上(「向こう側」)に存在するリソースを活用してコンピューティングを行うという、企業主体の話に終始しているが、その一方で、消費者の生活やコミュニケーション基盤も同じくクラウド化しているという事実も見逃せない。読者の中にも、毎日の生活が、フェイスブックなどのウェブのコミュニケーション媒体をチェックすることに終始するという人が多くいると思う。

ウェブ・テクノロジーの進歩の恩恵を受けて、「自己表現の力」と「つながる力」が生活者に与えられた。上に述べたSNSやブログなどもいわゆる「クラウド」のテクノロジー・プラットフォームだが、これを利用して、生活者は、企業とは無関係に活発な交流や情報交換を行っている。企業の「メッセージ」伝播の方法としても、かつてはTVCMなどの「マス媒体」が主流であり、圧倒的な影響力を持っていたが、近年ではむしろ、消費者自身が発信するメッセージのほうが力をもつケースも多い。そしてその力は即効性に優れしかも多大なのだ。そこで、企業もクラウドの中に入り、顧客と対話していくことが求められている。

だが、これをうまく実践できている企業は、アメリカでもまだ数えるほどだ。

企業がソーシャル・メディアに参加して生活者と自由に対話することが難しいのは、まだほとんどの企業が個々の従業員に個性や人間性を発揮させることを恐れているからだ。いくらソーシャル・メディアに参加したところで、TVや新聞、雑誌広告など従来の媒体同様の計算された画一的なメッセージを発信していたのではすぐに生活者に飽きられてしまう。また、わざと「面白くしよう」、「フレンドリーにしよう」という小手先の努力は、「わざとらしさ」として受け取られ嫌われるばかりだ。ソーシャル・メディアというのは生活者主体の媒体であり、生活者はそこに何より生身の人間らしさを求めるのである。

靴やアパレルを中心に取扱っているアメリカのネット通販会社、ザッポスは、先進的なコンタクトセンターの運営ばかりではなく、いわゆる「ソーシャル・メディア」を駆使して、クラウドの中の顧客とつながるための活動に早期から着手してきた。マイクロブログのツイッターの活用を今から1年半以上も前から会社ぐるみで推進してきた、アーリー・アダプターでもある。

ザッポスにそれができたのは、ずばり、コア・バリュー(価値観)の共有を基盤とした確固たる企業文化があるからである。同じ価値観を従業員全員が共有し、それに基づいて行動しているというベースや信頼があるからこそ、従業員をウェブ上に解き放ち、自由にものを言わせるという離れ業ができたのである。

コア・バリューを通して結ばれた従業員が、パーソナル(個別)かつエモーショナル(感情的)に顧客とつながる

アメリカでは、TVの視聴率が最も高い「プライム・タイム(夜の7時から11時の間)」のTV広告費の相場は、三十秒あたり12万5,000ドル程度といわれている。

1999年以来10年の社史のうち、ザッポスは、ほんの数えるほどしかTV広告を利用してきていない。その代わり、常に、「WOM(口コミ)こそが最高のマーケティング媒体」と唱え、一年365日を通して、24時間休みなく運営されるコンタクトセンターと、ソーシャル・メディア活動に投資してきた。

オペレーターが従うべき、「コール・スクリプト」もなく、対応時間に制限もないという、常識破りのコンタクトセンターがモットーとするのは、「個々の顧客と、パーソナル(個別)かつエモーショナルな(感情的な)つながりを築くこと」だ。

想像に難くないことだが、ザッポスのソーシャル・メディア活動も、上に挙げたモットーのもとに運営されている。

顧客がオンラインで物を買うとき、その目の前にあるのは硬く冷たいPCモニターだけ。そして、マウスのクリックひとつで店から店へと瞬間移動できてしまう流動性がある。ともすれば、無機質になりがちなウェブ・ショッピングに人の温かみや面白さを導入しようというのが、ソーシャル・メディアを通したザッポスの試みなのだ。

企業文化を軸に「人」が最強のブランディング媒体となる

日本でも最近話題になってきたツイッターだが、ザッポスのCEO、トニー・シェイは、なんと150万人を超えるフォロワー(購読者)をもつ。それだけではない。現在1,400名いる社員のうち、500人近くが、「ザッポス」の看板を背負い、ツイッターでつぶやきを発信している。

ザッポスのサイトには、常時12本のブログが同時進行する。世界最大のSNS、フェイスブック上にあるザッポスのページには、25,000人近い「ファン」が存在する。社員五人から構成される「オーディオ・ビジュアル班」が、ザッポス社内の様子を伝えるビデオ映像を毎日のように制作し、ユーチューブなどを通してウェブで公開する。

ツイッターをとっても、ユーチューブをとっても、従来でいうところの「宣伝」があるわけではない。CEOのトニー・シェイをはじめ、普段着の社員が、飾らない言葉で、日々の出来事、感じたことを、感じたままに発信している。

ちなみに、感謝祭を間近に控えた本日のエントリーでは、社員有志が、アメリカ家庭の感謝祭の食卓を飾る、思い思いの「好物」について語っている。かと思えば、感謝祭翌日の、「ブラック・フライデー(アメリカのリテーラーにとっては、年間で一番の稼ぎ時。クリスマス商戦の幕開けとして、様々な目玉セール・イベントが展開される)」に向けて、社員が思い出の逸話を語る映像もある。

普通の会社には、役職としての「スポークス・パーソン」がいるが、ザッポスでは、全社員1,400名が「スポークス・パーソン」だ。旧来型の人材管理は、「見ざる、言わざる、聞かざる」で、社員は「会社」という仮面をかぶり、右へ倣えの行動をとるのが良しとされていた。しかし、ザッポスでは、これとはまったく逆のアプローチをとる。共通の「企業文化」と「コア・バリュー(価値観)」という筋を通した上で、電話でもウェブでも、社員の「個」を前面に押し出そうというのが、ザッポスの考え方だ。

その狙いは、「ザッポス」という屋号やロゴではなく、「個」の顔の見える、人の血の通ったザッポスに惚れ込んでもらうことだ。顧客の「個」と社員の「個」がつながることこそ、ウェブ時代における唯一無二の差別化戦略だと、ザッポスは心得ているからである。そして、これを実践するためには、コア・バリューの共有を軸とした堅固な企業文化の確立が急務となる。

世の顧客の大多数が、ウェブ上で、知人、他人の差別なく、「ついたり、離れたり」を繰り返しながら縦横無尽に会話する中、企業がウェブの中に入り、耳を傾けたり、意見を求めたり、自分の主張をしたり、時には、顧客と共に笑ったり、顧客と共に頭を悩ましたりすることが必須だ。ザッポスという会社が、企業という鎧を脱ぎ捨て、いかに社員の「個」を前面に押し出した戦略で頭角を表しているのか、その秘密については、拙著、『ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~』を是非お読みいただきたい。