雲(クラウド)に行く顧客たち

ITの世界のこととして専ら語られている「クラウド・コンピューティング」。しかし、「市場のクラウド化」は、流通業のみならず、ビジネスの世界全般を大きく揺さぶるものだ。果たして企業は顧客の流れについていけるのか!?
「クラウド・コンピューティング」という言葉が日本でも花盛りだ。日経でも毎日のように、「クラウド」がらみのことを報道している。しかし、専らそれはデータセンターやストレージなどIT寄りの話題に終始している。
ウェブのネットワーク上のデータやソフトウェアを利用する、いわゆる「クラウド・コンピューティング」の重要性を軽視するつもりはない。だが、流通の観点から注目すべきは、むしろ、「市場のクラウド化」だ。
「市場のクラウド化」について話すと、「『クラウド』なんて、ITの世界のことだと思ってました」と驚く人が多い。「クラウド」がわざと難しく話されているのはIT業界の陰謀ではないかと、私は正直思っている。ブログやSNS、Gメールなど、今日我々が親しんでいるサービスの多くは、実はクラウドの仕組みに基づいたものである。何も、難しいことではない。生活者として、今どき、「クラウド」を利用していない人を見つけるほうが難しいだろう。
日経などで取り上げられているのは、「企業によるクラウド・サービスの利用」という話だが、私がお話ししたいのは、「市場のクラウド化」。物語風に言えば、「顧客が、クラウド(雲)の中に入って見えなくなってしまう」という話だ。
アメリカでは、「2012年までに、サービスに関するやり取りの65%が、クラウドの中で行われる」といわれている。今でこそ、商品やサービスに関する問い合わせや苦情などの会話は、企業が運営するカスタマーセンターなどを窓口として行われているが、あと一、二年もすれば、その半分以上が企業とは無関係に、クラウドの中で行われるようになるという予言だ。
これは、生活者としての自分の行動に照らしてみれば想像に難くない。例えば、ほとんどの人が、商品やサービスを購入する際に「顧客レビュー」を利用したことがあるだろう。また、ソフトの利用などでわからないことがある時に、「ユーザー・フォーラム」を調べてみるという人も多い。ミクシィを通して友人に何かを薦めたり、ツイッターで不愉快な体験について「つぶやいて」みたりしたことのある人もたくさんいると思う。
生活者にとって、「商品やサービスについて、クラウドの中で会話する」という行動は、日常茶飯事のように起こっている。だけど、これを理解している企業は、まだあまりにも少ない。そうこうしているうちにも、顧客はどんどん「企業離れ」して、クラウドの中で顧客同士で問題を解決している。あるいは、腹立たしい体験を共有して憂さを晴らしあう。
しかし、多くの企業は、未だにカスタマーセンターで電話が鳴るのを待つばかり。その結果、企業と顧客との断絶が起こっている。恐るべきことに、今どき、多くの顧客は企業なんて頼りにしていないのだ。企業に問い合わせるより、自分たちの仲間である「顧客」のほうがものをよく知っている。苦情を言うにしても、ずっと手ごたえがあり、満足感が得られる。このようにして、世の企業は顧客に見捨てられつつあるのだ。
電話が鳴るのを待つばかりの受身のカスタマーセンターは時代遅れだ。より楽しいショッパー体験、より充実したユーザー体験を求めて顧客が雲の中に蒸発していく中、「市場のクラウド化」に対応するカスタマーセンター、ひいては企業組織を創らなくてはならない、というのが、アメリカでは、今、企業が第一に優先すべき課題として話されるようになってきている。
「市場のクラウド化」の怖さのひとつは、いつ何時、かみなり雲が発生し、「顧客の怒り」という落雷が落ちてくるかわからないということだ。
カスタマーセンターに電話をしていくら苦情を言っても、ご意見箱に投票してみてもラチがあかない、という声をよく聞く。クラウドにはけ口を求める人が多くなっている。ウェブ以前のアナログの時代には、悪い噂はせいぜい直近の知人や友人にしか広まらなかった。だが、クラウドの時代には、悪事は瞬く間に千里を走る。「個」の顧客の怒声が、数千人に共鳴して、企業の手に負えない一大事になったという事例がアメリカでは後を絶たない。
今年の7月、「United Breaks Guitars(ユナイテッド航空はギターを壊す)」と題するミュージック・ビデオがYouTubeに投稿されて、大騒動を巻き起こした。あるカナダ人ミュージシャンがツアーに行くためにユナイテッド航空を利用したのだが、その際にチェックインした愛用のギターを無残にも壊されてしまったのだ。当然、彼はユナイテッドにギターの修繕費の支払いを求めたが、取り合ってもらえない。何ヶ月もたらい回しにされた挙句に、「ユナイテッドは責任を負わない」との返答。そこで彼は、自分の体験を歌にし、クラウドの声を仰ぐという手段に出た。
7月6日に投稿されたこのビデオが、10日間で再生された回数はなんと300万回以上。最初の4日間でユナイテッド航空の株価は10%減少し、時価に換算して約180億円相当の損害となった。勿論、株価の下降をすべてこのビデオのせいにするのは短絡的思考すぎるかもしれないが、まったく無関係であるとも言い難い。まさに、「クラウドの怖さ」を知らせしめる出来事だったのである。
顧客の怒声が積乱雲を呼び、企業の頭上に落雷した例は他にもある。でも、「市場のクラウド化」は、企業にとっていやなことばかりを引き起こすわけではない。「クラウドの力」を味方につけることによって、顧客の真の声を取り込み、顧客との距離を縮めることに成功している例もある。次回は、アメリカにおける「クラウド利用」の成功例をご紹介しよう。