アップルのトラブルが問う「廃れないブランド」とは・・・?

日経新聞7月26日づけの『経営の視点』は、「『挑戦者=アップル』が崩れる日」と題して、iPhone4の受信トラブルが引き起こしているアップルの「ブランド危機」について論じていた。
アメリカでは6月下旬に発売が開始されたiPhone4は、電話機の持ち方によって電波の受信状態が悪化するというトラブルが確認され、「(アップルは)販売前から欠陥に気付いていたのに、それを消費者に開示しなかった」として、損害賠償や販売中止を求める訴訟が起きている。
これに対して、同社CEOスティーブ・ジョブズは会見を開き、「トラブルは多くのスマートフォンで起こる一般的な現象だ」、つまり、「iPhone4に固有の問題ではない」と述べた。問題を改善するひとつの手段として、本体に装着するケースを購入者に無料で配布することも始めているが、なんとなく飽き足らない対応に感じられる。
まったく別件の記事だが、同じく7月26日づけの米WIRED誌のウェブ・エントリーは、『iPad所有者は利己的なエリート』と述べた。アメリカのリサーチ会社が、ある消費者意識調査の結果として出した声明らしいが、調査の信憑性は別として、「今、アップルのブランドに何が起こっているのか」は考察に値する。
1976年の創業以来、アップルは、IBMやマイクロソフト(エスタブリッシュメント)に対峙する「アンチ・エスタブリッシュメント」、大衆ではなく「非主流派」、「革命家」、「挑戦者」としてのブランド・イメージで売ってきた。
つまり、かつてのアップルには、「少数派だからこそかっこいい」、「エスタブリッシュメントに果敢に挑戦するからこそ応援したくなる」、「(みんなが持っていないから)持っていると個性を表現できる」的要素があり、だからこそ熱烈なファンが存在したのだ。
しかし、今やiPodは携帯音楽プレイヤーとしては主流中の主流だし、ご存知のように、アップルは今年になって時価総額でもマイクロソフトを抜き、世界最大のIT企業として君臨するに至ってしまった。
このブログ・エントリーのインスピレーションとなった日経記事の終わりのほうに、「人気が拡大するほどブランド力を失う危機が高まるというパラドックス」とある。
これを読んで思った。「人気が拡大すると・・・」というのをどう定義するかは疑問だが、会社の規模が大きくなったり、モノやサービスが主流化したときに壊れてしまう「ブランド力」というのは、そもそもその「力」が実体を伴わない「イメージ」に依存しているからではないか。
庶民は往々にして、「挑戦する者」に加勢したくなる。一番手になってしまったら最後、応援のしがいがなくなる。また、どんなに画期的なモノやサービスでも、普及してしまったら「あたり前」になり、新鮮さや面白みを失う。こういう例は珍しくない。
アップルが、「アンチ・エスタブリッシュメント」であり、「革命的」であり、「自由」であり、常に「開拓者精神」を持ち続けるブランドとして信奉され続けるかどうかは、単に「画期的なモノ」をつくり続けることができるか否かではなく、まさにアップル社という共同体の一人ひとりが、そういった文化や精神、あるいは魂を持ち続けることができるか否かにかかってくるだろう。
アップル社の内部事情については知らないので、アップルのブランド力が単なる「イメージ」に依存するものなのか、あるいは筋の通った、実体を伴うものなのかどうかについて私が判断することはできない。しかし、その判決は市場が、顧客が下してくれるだろう。
それにしても、前述のiPhoneのトラブルについて、「他のスマートフォンにも起こること」と言ってしまうあたり、我々の知るかつての「アップル・スピリット」に既に反するのじゃないの、と個人的には思ってしまった。「反体制」であり、「挑戦者」であり、「とんがった」アップルであるからこそ、「iPhoneは他のスマートフォンとは違う」と突っ張り、問題の徹底的追及を約束して欲しかった。
かくいう私もiPadにはぞっこん惚れ込んでいる熱狂的ユーザーであり、商品開発者としてのアップルの先進性、画期性はまだまだ健在だと信じる。しかし、ブランドはモノでもなければ、看板でもない。だからこそ、アップルのブランドを背負うスティーブ・ジョブズをはじめ、「アップルの中の人々」が、その行動、言動をもってアップル・ブランドを生き抜いて欲しいものである。「廃れないブランド」の核とは、そこにあるのではないだろうか。