コア・バリュー経営が拓く、新しい時代

―アビゲール・ディズニー氏の言葉に思うこと―

ディズニー・リゾートは『地球上でいちばん幸せな場所』であり、ディズニーのコア・パーパスは『人を幸せにする』というものです。しかし近年、園内で働く清掃係や接客係、ホテル・スタッフなどが、政府の補助を受けなくてはまっとうな生活もできないような最低賃金で働かされているという現実が批判を浴びてきました。

ディズニーだけではなく、アメリカの企業の「経営陣」と「現場従業員」の間に広がる収入格差の問題に関して声を上げている人がいます。ディズニーの共同創設者、ロイ・ディズニーの孫娘であるアビゲール・ディズニーです。

彼女はディズニーの資産の相続人ではありますが、ディズニーという会社の経営には一切携わっていません。そういったユニークな立場から、先日、ビバリーヒルズで行われたカンファレンスで、ディズニーを含むアメリカの企業経営者の「貪欲さ」を痛烈に批判する声を上げたのです。

「アメリカの経済の発展を支えてきたミドルクラス(中流家庭)を我々は破壊しようとしているのです。ミドルクラスの存在なくして、ディズニーのビジネスはあり得ません」

アビゲール・ディズニーは、ディズニーのCEOボブ・アイガーの年俸6,560万ドルを激しく糾弾しました。同社の経営陣が個人では到底使いきれないほどの報酬を貰っている傍らで、「地球上でいちばん幸せな場所」の体験を提供しようと日々働いている従業員が日々の食事の心配をしなければならないという現実があるからです。そんな現実を踏まえて、彼女は経営陣のボーナスを半分にして、残りの半分を従業員の育児手当や病気の治療など緊急時の助成金に充てる、アナハイムのディズニーランド近辺の空き家を改築して従業員住宅にする、全従業員に対するストック・オプションを復活させる、一日の終わりに園内で売れ残った食べ物を従業員が持ち帰れるようにする、従業員の家族に対して入場料を無料にする、などの改革を提案しました。

これらの方策の一つひとつももちろん理にかなったことだと思いますが、私の心を刺したのは、何よりも彼女の次のような言葉でした。

「私が現状に対して批判の声を上げたのは、私は『ディズニーという遺産』の相続人であるからです。その責任があります。ディズニーはただの会社ではありません。ディズニーのブランドは感情的なものです。『愛』を象徴したブランドであると言ってもいいでしょう」

アビゲール・ディズニーは、「ビジネス」や「経営」という毒に侵されていない立場だからこそ、一人のまっとうな人間が当たり前にもっている「感情」や「愛情」という視点から、上のような提案ができたのだと思います。

彼女の言葉を読みながら、私は自分の記憶の中のあることを思い出していました。起業して間もない頃のことですが、ディズニーとの交渉に三年ほど関わったことがあります。特に思い出深いのは、ディズニーが「ディズニー・ストア日本進出」を模索していた時、日本のとある大手小売業者の交渉代理人としてこのプロジェクトに関わったことです。そこで私が強烈に覚えているのは、ディズニーランドの現場で働く「キャスト」の明るく、楽しく、天真爛漫なイメージとは裏腹に、ディズニーの本社で働く経営陣たちがいかに容赦なく、ハードな人たちであったかということでした。彼らはまさしく「情」ではなく、売上や利益といった「ビジネスの理屈」をベースに動く人たちであったのです。

アビゲール・ディズニーが言うように、それは別にディズニーに限ったことではありません。「愛」や「感情」というのは、これまでのビジネスには縁遠い言葉だったのです。しかし、「人を幸せにする」ことを存在意義に掲げる会社が、自分の会社で働く従業員を幸せにできないとしたらこれほどの偽物はないでしょう。そんなビジネスはいずれは破たんします。

「人間」を中心に考える会社が支持される世の中になってきています。会社が「コア・パーパス(存在意義)」を掲げ、会社の大多数が「コア・バリュー(中核となる価値観)」を共有して心をひとつにして働く会社がめきめきと頭角を表しているのがその証拠です。私は、「ビジネス」や「経営」が冷酷な、理詰めの言葉である必要はないと思っています。むしろそういうビジネス観は時代遅れになっています。

アビゲール・ディズニーの言葉を借りれば、「利益より『人』を優先する」時代が来ています。人間が人間らしく働き、仕事を通して各々の個性や感性や創造性を発揮できること。それこそが真の「働き方改革」であり、「コア・バリュー経営」を通じて、そんな新しい時代の幕開けの一端を担うことができればと私は切に思うのです。