月刊『アイ・エム・プレス』 : 最終回 混沌の時代に勝ち抜くためには-終わらない優良企業の挑戦-「顧客を知る、顧客とつながる 顧客主導型市場における米国優良企業の挑戦」

混沌の時代に:経営者への提言

本誌2006年1月号から12回にわたって、『企業が、“顧客主導型になる”というのはどういうことか』をテーマに、米国の優良企業が行っているさまざまな取り組みを追い、読者の皆さんと一緒に考察してきた。

この連載期間中にも、日米の市場は絶え間なく揺れ動き、つい最近まで、“ビジネスの常識”と思われていたことを一夜にして根こそぎ覆すような出来事も数々起こった。今日の市場において、“競争のルール”は日々変化している。従って、この連載を通して私が挙げてきた事例は、あくまで、過去のある時点において良い結果を生んだ成功“例”に過ぎず、企業が顧客主導型市場を勝ち抜く上での“ゴールデン・ルール(鉄則)”では断じてない。競争優位確立のために企業が取るべき方策は、市場の変化に伴い目まぐるしく変わっていく。企業経営者は、市場の流れを敏感にとらえ、その潮流に乗るための方策を、クリエイティブに創案していかなくてはならない。

連載最終回の今回は、この“混沌”の時代において、次々と目の前に立ちはだかるハードルを乗り越え、企業の繁栄を現実のものにしていくために、経営者が持つべき考え方や心構えのようなものをいくつかのポイントにまとめてみた。これは、私自身が、過去20年以上にわたって米国流通市場の変遷を観察し、優れた経営者たちの話に耳を傾けて、感じたり考えたりしたことに基づくものである。ITの世界ばかりではなく、ビジネスの構造そのものにおける“革新サイクル”がますます圧縮される中で、変化のスピードに耐え得る企業体質や組織体制を築き上げることは、どんな企業にとっても欠くことのできない生き残りの条件と言えるだろう。

顧客を出発点としてビジネスを創造する

インターネット以前の“サプライヤー主導”の市場においては、企業は自社の提供する商品やサービスのみに主眼を置いてビジネス・モデルを組み立てていた。しかし、“顧客主導型”市場においては、「商品=競争優位の要因」という公式は成立しなくなった。特にコモディティ商品(※注1)に関して言えば、どの店舗に行っても、どのカタログを見ても同じような商品を取り扱っている。また、昨今ではインターネットの検索技術も高度化し、一般の生活者が、自分の望む商品がどこで売られているのかを容易に見付けることができるようになっている。

今日、買い手の世界観は、「欲しいものは必ず手に入る」という境地に到達しつつある。飛躍を恐れずにいえば、サプライヤーにとって、「買い手の望む商品を供給できる」ことはもはや差別化要因ではなく、むしろ、競争のスタートラインに立つための必須条項となっているのだ。

顧客主導型市場においては、商品ではなく、顧客を出発点としてビジネスを組み立てるという考え方が必要になってきている。では、これをどう実現すべきか。それには、まず、「顧客を知る」ことが必要である。

「顧客を知る」ということは、企業が、自らがターゲットとする顧客セグメントを特定し、その顧客セグメントの“ペルソナ(人間像)”を割り出し、さまざまな顧客シナリオを想定して、それが自社の提供する商品やサービス、あるいは価値提案にどういった関連性をもつのかを考察することである。ここで、“顧客シナリオ”とは、特定の商品やサービスについて、顧客が、それをいつ、どこで、いかなるシチュエーションのもとに、どのように利用しているのかを想定することを指す。商品を単なる“モノ”として切り離して考えるのではなく、商品を顧客のニーズと結び付け、顧客の抱えている問題や課題を解決するものとして価値創造の発想につなげることが、顧客主導型市場における商品戦略の考え方であるといえる。

“顧客シナリオ”の徹底的な研究をベースに、オールド・エコノミーから“顧客主導型企業”への華麗なる変身を遂げた企業がある。ひとつの例として、日本でも躍進中のラグジュアリー・グッズ・メーカー、コーチを挙げよう。

コーチは、1941年にニューヨークに設立された、老舗ハンドバッグ・メーカーだ。もともとは、革製の良質なハンドバッグを製造する、いわば“職人肌”の企業であった。

職人の特徴は、“商品へのこだわり”であり、それが職人の良いところでも、弱点でもある。かつてのコーチは、“革製の、長持ちする、良質なハンドバッグ”という点に強いこだわりをもち、一途に商品を製造していた。しかし、ルイ・ヴィトンやエルメスなど、ヨーロッパ発の超高級ラグジュアリー・ブランドがファッション志向のハイエンド商品を次々とリリースしていく中、“どんな服装にも合う、どちらかといえばコンサバ系な”コーチの商品はどうしても存在感を欠いた。また、革製品は丈夫で長持ちするため、なかなか頻繁なリピート購入も望めない。

窮地に立たされていたコーチが目を着けたのは、女性が、いつ、どのようなオケージョンでハンドバッグを使うのか、ということであった。また、ハンドバッグの使い方において女性が抱えている問題や、市場に出回っている既存の商品では満たされていないニーズがないかどうかを探求した。商品を単体として見るのではなく、顧客ニーズと結び付けるという、発想の転換である。どんな時にも持って歩ける定番バッグはひとつでも、特別なオケージョンに即したバッグを作れば、商品戦略の幅も広がるし、ロイヤル顧客のリピート購入をより効果的に促進できる。多くの女性が、レギュラー・サイズのハンドバッグの中にやや小さめのバッグを入れて、鍵やクレジット・カード、口紅などの小物をその中にしまって持ち歩いていることに着眼して開発された“Wristlet(リスレット)”は、そんな発想から生まれたヒット商品例だ。“Wristlet”は、Wrist(手首)、Wallet(財布)、Bracelet(ブレスレット)を組み合わせた造語で、その名の通り、財布のような形の小型のバッグに、ブレスレットのような輪っか状の持ち手がついている。バッグの中に入れる小物用バッグ、というだけではなく、ちょっとした外出時に必需品だけを入れて持ち歩くには最適と好評を博した。

顧客を出発点にしてビジネスを創案することによって、コーチはただの“ラグジュアリー・ブランド”ではなく、顧客ニーズに密着した“ライフスタイル・ブランド”として無二のポジションを築くに至った。常に顧客の生の声を把握し、市場の流れに遅れをとらないために、コーチは年間3億円以上の予算を投入し、1万人をゆうに超える数の顧客にインタビューしているという。

業界障壁を越えて学ぶ

混沌の時代に企業が勝ち残るための条件のひとつは、「業界障壁を超えて学ぶ」ということである。昨今では、製造、流通、サービスなど産業セクターや、商品カテゴリーのいかんにかかわらず、競争環境がますます“クロス・インダストリー(業界交差型)”になってきている。オフィス・サプライの流通を例にとってみても、いまどき、ベーシックなオフィス・サプライであればスーパーでもドラッグ・ストアでもどこでも買える。従って、競争環境を考えるにも、“同業者”という限られた枠組で考えるのではなく、顧客の視点から、「ソリューションを提供しているのは誰か」という広いスコープで考える必要がある。自社の商品やサービスを、“顧客が抱えている特定のニーズや問題点に対するソリューション”として考えた時、同様のニーズや問題点に対するソリューションを提供している企業はみな、競合になる。

業界の壁を超えたサクセス・モデルの移植というのは、米国では昔から比較的盛んに行われてきた。業界での“常識”を打破し、革新的なビジネス・モデルを確立してきた優良企業には、特にこのケースが多い。1980年代後半に彗星のごとく現れ、米国オフィス・サプライ業界に流通革新を巻き起こした“スーパーストア”(※注2)という業態を見ても、その創設者はことごとく異業界の出身だ。例えば、ステープルズの創設者であるトム・ステムバーグ氏はスーパーマーケット業界のベテランであり、同業界において先行した市場統合のプロセスや価格メカニズムの進化などをヒントに、スーパーストアという業態を考案して米国オフィス・サプライ業界に革命をもたらした。11月号、12月号で述べた“ダイレクト・マーケター”のモデルも、元を正せばITサプライ流通業界に端を発するが、のちにオフィス・サプライ業界、医療サプライ流通業界など他業界に幅広く導入され、各業界において競合他社とは一線を画すリーディング・カンパニーの礎となっている。

国を超えて学ぶ

日本のビジネスマンの方々に米国の市場についてお話しすると、時々、「それは米国の事例だから、日本の市場にはあてはまらない」という旨のコメントをいただくことがある。もちろん、日本と米国では生活者のライフスタイルも異なり、また、各業界における進化の程度も違うため、競争環境にも大きな相違があるということは否めない。米国で成功したモデルをそのまま日本市場に移植したからといって通用するとは限らない。両者の環境の違いを明確に把握した上で、“再構築”を行わなくてはならない、というのは当然の話だ。

しかし、“学ぶ”ということに関して、日本企業はもっと“日本”という壁を超えるべきではないかと私は思う。そう考える理由のひとつは、昨今では、“グローバル化”という言葉がもう古くさく感じられるほど、市場のグローバル化が進んでいるからだ。一般人の日常生活も、さまざまな国の文化や習慣が入り乱れて“フュージョン化”している。そして、小売業、サービス業ともに、海外企業の日本市場進出はもう珍しいことではなくなっている。このような時代において、他国の優良企業がどこに戦略的フォーカスを置いているのか、どのようなプロセスや体制でもって顧客価値の最適化を図っているのか、について常にアンテナを張っておくことは、日本企業の経営者にとって欠かすことのできない心掛けであると言えるだろう。

日本において革新的ビジネス・モデルを開拓するに当たって、米国の市場を熱心に研究した経営者の例もまた多い。例えば、「ユニクロ」で知られる(株)ファーストリテーリングの柳井会長兼社長も、80年代には米国に幾度となく足を運び、米国の小売業について研究に研究を重ねたという。アパレル業界はもちろんのこと、“コストコ”に代表されるホールセール・クラブや、ディスカウント・ストアを視察してまわり、そういった形態の店舗の中に、食料品や日用雑貨に混じってアパレルも売られているのに衝撃を受けて、「アパレルをこんなに安く売ることができるのは、なぜか」ということを追求した末に、「ユニクロ」のモデルを組み立てていったと言われている。

学ぶ組織をつくる

市場変化のスピードがどんどん加速する中、企業がそのスピードに追いつき、あるいは変化を先取りする形で方向修正や転換をしていくためには、企業経営者のみならず、企業そのものが“学ぶ”体制を作り上げることが必要である。

情報社会がより進行して、“学び”の質や内容にも大きな変化が生じている。テクノロジーやシステムが秒刻みで進化していく中、個人がスキルを磨き、新たな知識を吸収することはもちろん必要だ。しかしそれは基本中の基本であって、本当に求められているのは、むしろ、ものを考える上でのフレームワークや、何かを成し遂げる上でのプロセスを学ぶことだ。こういった高度な“学び”を可能にするために、米国企業の多くは、“Corporate University (企業内大学)”と呼ばれる、新たなる仕組みづくりに取り組んでいる。

米国の“企業内大学”の中でも、最も有名なものをいくつか挙げるとすると、マクドナルド社の“ハンバーガー・ユニバーシティ”、ジェネラル・エレクトリック社のジョン・F・ウェルチ・リーダーシップ・センター、そして5月号掲載記事の中でも紹介したディズニー社のディズニー・ユニバーシティなどがまず頭に浮かぶ。マクドナルドのハンバーガー・ユニバーシティなどは時代の先陣を切って早くも60年代に設立されているが、米国における企業内大学に対する関心は90年代になってから盛り上がりを見せ、1988年から1998年までの10年間で、その数は約4倍に膨れ上がった。今日、米国には2,000軒を超える“企業内大学”が存在するといわれている。数年前のことになるが、私も、企業内大学を設立、運営するプロセスを学ぶカンファレンスに参加し、“コーポレート・ユニバーシティ・プロフェッショナル”としての認定証を取得した。このカンファレンスには、フェデックス、IBM、ジョンソン・アンド・ジョンソンなど、有名大企業の多くが名を連ね、業界の壁を超える形で企業内教育のプロセスやノウハウを共有し合う。最も成功を収めている企業内大学の中には、社員を対象に教育を施すだけではなく、自社独自のカリキュラムを他社にも公開し、フィー・ベースでの教育サービス事業を展開することによって、“コスト・センター”ではなく、“プロフィット・センター”としての存在意義を確立しているところもある。先にも述べたように、市場競争が“ボーダレス化”してくると、企業や業界の壁を超えた異業種間でのラーニング・コラボレーションが重要になってくる。企業内大学は、各業界固有のスキルまたはナレッジ・ベースのトレーニングにとどまらず、“ビジネス”全般に共通したフレームワークやプロセスを共有し、より洗練された“集合知”を構築する学びの場として、今後さらなる進化を遂げていくことが期待される。

マネジメント2.0

現在、米国の生涯教育では、経営者や起業家を対象にして、CreativityやCourageといったテーマを探求するコースが注目されている。これは、行き先の見えない“混沌”の時代において、次世代の経営者に求められている資質を示唆している。

私としては、この“2つのC”に、もうひとつのCを補足して、本連載の結びとしたい。それは、“Clarity of Vision(明確なビジョン)”だ。英語では、“Crystal-clear Vision”などという言い回しもよく使われる。“水晶のごとく澄み切ったビジョン”というニュアンスだ。組織が進むべき方向性を目に見える形でステークホルダーに示し、そこに到達する道のりを、具体的なステップでレイアウトする。不確かな時代であるからこそ、こういった3つのCに象徴される、“スピリチュアルなリーダーシップ”が、今まで以上に求められていくのではないだろうか。

※注1:
コモディティ商品…個々の商品としての独自性に乏しく、どのサプライヤーから入手しても品質や特性に大差のないような商品のこと。

※注2:
スーパーストア…オフィス・サプライ業界におけるいわゆる“カテゴリー・キラー”で大型店舗と、幅広い品揃えを特徴とする。製造業者から直接商品を調達することにより、従来のオフィス・サプライ市場の仕入れ形態を大きく変革し、低価格による優位性を築くに至った。


*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(129, 2007-2)に掲載されました。
*こちらからPDFでもご覧になれます。*こちらからPDFでもご覧になれます。→PDFをダウンロード(132KB)