月刊『アイ・エム・プレス』 : No.9 進化か、絶滅か-顧客主導型市場における大企業の挑戦「顧客を知る、顧客とつながる 顧客主導型市場における米国優良企業の挑戦」

“恐竜”に例えられる大企業

米国のビジネス界においては、大企業はよく“恐竜”に例えられる。恐竜のように図体がでかいため、力はあるが小回りが利かずに、変化に敏速に対応することができず絶滅してしまうというイメージだ。

米国ではインターネットが盛り上がりを見せ始めた1990年代中盤から、大企業の危機が叫ばれてきた。インターネットを触媒とした“ニュー・エコノミー”の台頭により、古いビジネスの常識や体制に慣れきった“オールド・エコノミー”が弱体化するという予言が巷に氾濫した。

今日、2000年代の半ばにきて、文字通り“絶滅”を遂げた“オールド・エコノミー”は数えるほどかも知れない。

しかし、コカ・コーラやマクドナルドのように、大人から子供まで、幅広い認知度を誇る大企業でも、王座を永久に守り通すことができるという保証はどこにもない。顧客主導型がいよいよ本格化し、目まぐるしいほどのスピードで進行している今日のビジネス環境において、多くの大企業は、“Evolve or Extinct(進化か、絶滅か)”という選択の岐路に立たされている。

顧客主導型への転換―ウォルマートの挑戦

英国に本拠を置き、世界13カ国で2,500を超える店舗(主にスーパーマーケット)を展開するテスコ社は、ロイヤルティ・プログラム運営におけるベスト・プラクティスで世界的に有名なリテーラーである。英国のグローサリー市場において、テスコ社のシェアは31%、ウォルマートの傘下にある競合の“Asda”チェーンの16%に対して圧倒的優位を保つ。この圧倒的優位のカギを握ると噂されるのが、テスコ社の誇る“クラブカード・プログラム”である。

テスコ社では、クラブカードを媒体として入手、蓄積された膨大なデータを緻密に分析し、個々の顧客のライフスタイル・プロファイルと購買傾向を掛け合わせた上で、その顧客の嗜好やニーズに基づいたカスタマイズ・オファーを提供するという洗練されたアプローチで競合他社と一線を画している。

例えば、テスコ社では、クラブカードを媒体として得られたデータの分析を通して、あの有名なオムツを購入する家庭では、ビールの購買量も多いことに着目するに至った。乳幼児がいる家庭では、子供の世話をするために父親も家にいる機会が多くなり、その分だけ外に飲みに行く機会が減り、自宅におけるビールの消費量が増えるというシナリオである。

こういった分析に基づき、テスコ社ではオムツを購入する家庭に対してはビールの割引クーポンを進呈するなどの試みを実施して、オファーの利用率を上げることに成功した。テスコ社では、個々の顧客の購買パターンと、購買から読み取れるライフスタイルを細かく研究することにより、まさしく“かゆいところに手が届く”的なオファーの提供を実現することに成功している。

顧客は、自らの心の内を見抜くようなオファーを受け取ることによって、“大切にされている”と感じ、企業(テスコ)への親近感を強くするのである。

片や、“エブリデイ・ロウ・プライス”を看板に掲げるウォルマートでは、米国でも英国でもロイヤルティ・プログラムを導入していない。「1年365日、どのお客様にも平等に、低価格を提供する」というのがウォルマートのモットーであるからだ。英国市場における苦戦の要因は、同社ならではの、“One-Size-Fits-All(画一的)”アプローチにあると叩かれている。そのウォルマートが最近になって、“顧客主導型”を新たなキーワードとし、米国における店舗の大改革に励み始めたことは極めて興味深い。

ご存じのように、ウォルマートは現在まで、本来の“コア・オーディエンス”である低所得者層からロウアー・ミドル層に焦点を当て、その基盤を築いてきた。

しかし、ウォルマートでは、この“コア・オーディエンス”だけに頼っていては、今後の成長が見込めないことを自覚し、従来はターゲットとして認識していなかったアッパーミドル層の支持を得ることを目標に、各店舗の商圏のデモグラフィックとライフスタイルの分析に基づくローカライズ戦略に乗り出している。

皮切りとなったのは、今年3月にテキサス州プラノ市に新しくオープンしたスーパーセンターである。白人のアッパーミドル層、しかも、子どもが成人して手を離れ、経済的にも余裕のできた熟年層が多く住むこのエリアのデモグラフィックに合わせて、ウォルマートでは、店舗レイアウトや品揃え、そのほかのアメニティを高級志向に一新した。店舗内の通路は広々として明るく、米国のアッパー・ミドル層の間ではちょっとしたステータス・シンボルとなった寿司バーが店の一角を占めている。

また、ビールやワインなどの品揃えも充実しており、中には1本500ドル(5万円)もするワインが棚に並んでいる。女性用の化粧室には生花が飾ってあり、店舗の入り口には、顧客がカプチーノやエスプレッソを片手にくつろぎながら、インターネットをサーフできる気の利いたカフェもある。

ローカル嗜好とニーズに基づき、従来型のウォルマートからの飛躍が始まっているのは前述のテキサス州プラノ店だけではない。シカゴ郊外のエバーグリーン・パーク店では、顧客ベースの大半を占めるアフリカ系アメリカ人の嗜好に合わせ、メンズウエアの売り場を30%拡大し、より店舗の入り口に近いところに持ってきた。

さらにその品揃えも、若い黒人男性に人気のあるだぼついたルックスのジーンズや、スポーツジャケットを充実させている。また、同店舗においては、ミュージックCDの売り場も一般的なウォルマートの店舗の4倍近くある。そして、黒人に好まれるゴスペルやR&B、ヒップ・ホップなどのジャンルを豊富に取り揃えている。

このように、ウォルマートでは、米国内に存在する約3,400店舗について、ローカル嗜好とニーズの把握に基づいた改革を来年(2007年)中にほぼ完了する思惑であるという。

この背景には、時代の流れに伴い、ただ低価格というだけでは顧客の支持を得ることができなくなった、という事実もあるだろう。ウォルマートを筆頭とするビッグ・ボックス・リテーラーは、個々の企業のサプライ・チェーンや商品調達力に大きな較差があった時代には、商品を安く仕入れ、そこで生じるコスト削減分を顧客に還元する、ということで優位性を築いてきた。

しかし、今日、ウォルマートとその競合を比べてみると、一部の商品を除いて、価格の面では大差がないことが多い。“エブリデイ・ロウ・プライス”が競争優位の決め手となった時代は、終わりを遂げつつあるのだ。

テクノロジーが先行する“顧客主導型”への転換

かつては、“ビッグ・ボックス・リテール”、あるいは、“マス・リテール”といえば、定義的に紋切り型の画一的なアプローチというのが定石であった。品揃えの面からも、店舗デザインの面からも、マス・オーディエンスの中の多数派によりまんべんなく支持される最大公約数を割り出し、ある一定の公式を当てはめることによって最大の効果を生み出すというのがビジネスにおける常識であった。

しかし、インターネットをはじめとする情報通信技術の進歩によって加速化した顧客主導型という新しい市場秩序においては、このルールはもはや通用しなくなった。“店舗”という本質的にマスを対象とした環境の中で、個々の顧客のニーズにいかに敏感に対応し、顧客主導型企業として自らをアピールしていくか、いずれの企業も、その課題に真摯に取り組んでいる。

先に挙げたテスコの例も、ウォルマートの例も、時代の恵みであるテクノロジーの力を駆使して、顧客の声をより正確にキャッチし、より敏速に顧客の期待に応えることでロイヤル・カスタマーの育成につなげようというロジカルな試みではある。インターネットを媒体として、顧客の声を収集する。個々の顧客データとPOSデータを結び付ける。データベースを活用して、ベスト・カスタマーのプロファイルを編み出す…。これらの試みは、ビジネス誌上や、業界カンファレンスなどにおいてもスポットライトを浴び、大いに賞賛されている。

しかし、一生活者としての視点に立ち返って考えてみると、昨今のビジネス界において、まだまだ多くの企業が“顧客主導型への転換”について、テクノロジー偏重のアプローチをとっていることには、多少不安が残る。

データベースやCRMなどといったテクノロジーの構築に投資することがムダだと主張するわけではもちろんない。顧客の声を聞き、顧客に近付くためには、こういったインフラはなくてはならないものだ。

しかし、最新鋭のテクノロジーにいくらお金をかけたからといって、それが顧客にとって、“顧客主導型”として体感されるかというとそうではない。

例えば、本連載第4回『店舗が変わる』の中でも紹介したように、米国家電大手のベスト・バイ社では、同社にとって利益性あるいは潜在性の最も高い顧客層をプロファイリングして、これらの顧客層のニーズや購買傾向にマッチした店舗の創造や接客教育を行っている。

“カスタマー・セントリシティ(顧客中心)”と銘打ったこのイニシアチブは、小売業界誌やカンファレンスなどでは顧客主導型市場の最先端を行くものとしてもてはやされ、賞賛されているが、これは、一般顧客にとってはまったく不透明なものである。

ベスト・バイが、どんな戦略に基づき店舗を改革し、それが理論上では顧客にどんなメリットをもたらす“はず”のものなのかは顧客に言わせれば、「知ったことではない」。顧客にとっては、面倒やリスクが最小限に保たれる形で自分のニーズが満たされ、快適なサービスが受けられることが最も大切なことであり、言ってみれば、それだけが重要なのである。

しかし、多くのトップ・マネジメントは、これを理解していないかのように、私には思える。いかに高度なテクノロジーをいち早く導入するかだけにエネルギーが注がれ、企業全体を一貫したビジョンの浸透やフロントラインにおける顧客主導型の具現化ということには注意が払われていないケースが多い。

ネットワーク環境における“顧客主導型”の実践

ニューヨーク・タイムズ誌のコラムニスト、トーマス・フリードマン氏による著書『フラット化する世界』は、テクノロジーの恩恵を受けて、ネットワーク化し、フラット化する世界の様相を、政治、経済、文化という多角的な側面からとらえ、国家、企業、社会、そして個人がこの新しい世界秩序にどう適応していくべきかについて提言している。大企業が顧客主導型へと転換する上での難しさは、この、“ネットワーク化”という言葉に集約されているように、私には思える。

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、サプライ・チェーンの世界においては、“Beyond Four Walls(4つの壁に囲まれた空間を超えて)”というコンセプトがしきりに取りざたされた。これは、一企業という閉ざされた枠組みの中でサプライ・チェーンを管理するのではなく、バリュー・チェーン全体を一貫して管理することの必要性を意味する。

かつては、単一企業内の製造プロセス、倉庫システム、あるいは在庫管理が健全でありさえすれば競争に打ち勝てるとされてきたが、今日では、製造から流通、そして、ポイント・オブ・セールス、ポイント・オブ・サービス、ひいては消費地点までを一貫したバリュー・チェーンを統括することができるか否かが競争のカギとなってきている。ネットワーク化し、フラット化した世の中においては、競争の構図、あるいはルールが根底から覆されつつあるということだ。

それと同様に、“顧客主導型”への転換も、一企業という枠組みを超え、バリュー・チェーンが一貫した形で遂行され、具現化されることが要求されつつある。そしてこれは、事業運営上のあらゆる非中核業務がサード・パーティに委託されている大企業にとっては極めて困難なことだ。

例えば、今日、コピー機などのリース契約におけるサービス/メンテナンス業務は、ローカル・ベースの個人あるいは小規模な独立系業者との契約を通して、委託により運営されているのが普通である。

わが社のオフィスでも、コピー機の調整や修理のためにメンテナンス・エンジニアの派遣を依頼することがあるが、先日はちょっとした不具合を調整してもらうつもりが、エンジニアが作業をしているうちにコピー機がまったく作動しなくなってしまった。

結局、日を改めて、修理用のパーツを携えて再度出張してもらうことになったが、当日になってもエンジニアは一向に現れない。正午を過ぎてしびれを切らしたオフィス・マネージャーが支社に電話をしたところ、スケジューリングの都合で今日は行けないという。仕方がないので、その翌日の朝8時にアポを取り付けたが、実際には30分ほど遅れてやってきた。

それから大の男が2人がかりで作業すること約1時間。「いつ頃終わるのか?」と訊ねると、「わからない」とふてくされた返答をする。「昨日はアポをすっぽかしておいて、『わからない』とはどういうことだ」と問い詰めると、「自分は契約業者だから、メーカーが約束したアポについては知らない」と、挙句の果てには開き直った態度。

結局はメーカーの本社に電話をして苦情を申し立てたが、メーカーはメーカーで、「OA機器のビジネスにおいては、商品の質だけでなく、サービス・エクスペリエンスまでを包括したすべてが我々のプロダクト。不愉快な対応があって大変申し訳なかった」とごもっともな発言をする。

本社だけが“顧客主導型”でも、サービスの現場にその精神が浸透していなくては意味がないと、この体験を通して顧客の立場から改めて痛感した。

企業が、“顧客主導型”を、顧客に体感してもらえる形で実践するには、単にITの整備だけでは目標は達成し得ない。まず、顧客の体験を中核に据えてサービス・デザインを考える“文化”の育成が必要であるし、その文化を浸透させる組織体制、“顧客主導型”を顧客の目に見える形で実践に落とし込んでいくプロセスや仕組み、そしてそれをデリバリー(具現化)する人材の育成が必要だ。

そう考えていくと、図体が大きく、反応が鈍い、“恐竜的”大企業は、一刻の猶予も許されない変革の必要性に迫られているといえる。


*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(126, 2006-11)に掲載されました。
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