Web新世代:高まる顧客の声の重要性
最近、『日本経済新聞』やあらゆるビジネス誌上において、ロングテールやWeb 2.0などという言葉が盛んに取りざたされている。ロングテールは2004年9月に米ワイヤード誌の編集長クリス・アンダーソン氏が、そしてWeb 2.0は同年10月、IT関連出版社オライリー・メディア社CEO、ティム・オライリー氏が提唱した言葉であるが、今では日米を問わず、ビジネス・パーソンなら誰でも一度は耳にしたことがあるといっても過言ではないくらい、すみずみにまで浸透している。
問題は、特にWeb 2.0に至っては、掴みどころのない難解なコンセプトとして語られていることが多く、Webの双方向性の進歩や情報伝達のスピードの加速化などといった“事象”を指して、これこそWeb 2.0です、と、まことしやかなラベルを貼り付けている場合が多いということだ。
Web 2.0の、“2.0”とは、“バージョン2”や“第二世代”を意味するものであり、1996年ごろに始まった第一次インターネット革命を起点として、それが一歩先に進んだことを示す諸々の現象をひっくるめて、“Web 2.0”と呼んでいるというのが私の理解である。1913年に米国でヘンリー・フォードが自動車の大量生産システムを開発し、いわゆる“マイカー”が一般に普及するきっかけとなったが、インターネット革命によって近年引き起こされている社会変革は、この“交通革命”になぞらえて考えることもできる。“マイカー”という原動力に、“道路”というインフラと、“地図”というツールが加わったことから、個々の人々が遠距離を自在に移動することが可能になり、社会に大きな変革をもたらした。
同様に、今日、“PC”という原動力と、“インターネット”、あるいは、“ブロードバンド”というインフラ、そして、“検索”というツールの三拍子が揃ったことが、社会の在り方や人々の生き方に飛躍的な変化をもたらしている。情報技術の急速な進化によって引き起こされている大々的な地殻変動を象徴するさまざまな現象を総称して、“Web 2.0”と呼んでいるのであって、「Web 2.0とは…」と、便宜上、単純化された定義を無理やりにひねり出すのはナンセンスというものだろう。
しかし、Web 2.0という現象がビジネスの世界に与えている多大な影響について考察することはもちろん有意義であるし、重要なことだ。
ロングテール理論の提唱者であるクリス・アンダーソン氏は、著書『The Long Tail』の中で、インターネット以前の社会においては、マスメディアという“レンズ”を通して焦点を合わされたものだけが一般生活者の目に触れ、その効果によって、“マス・カルチャー”が形成されていたと述べている。
このロジックを借りて、今日、本格化している“顧客主導型市場”の状況を私なりに読み解くと、今度は、生活者が主導権を握り、PC、インターネット、検索などといったテクノロジーを新しい“レンズ”として、市場に混在している無数の商品/サービスの中から、自分のニーズにぴったり合致したものを探し当て、手に入れることができるようになったと言えよう。
インターネット以前の社会では、マスメディアやマス・マーチャントの判断基準で、「ヒットになる」と想定されたものだけが“入手可能な商品/サービス”として、生活者の目に触れていたが、今日、その流れは逆転しつつあると言える。「何が売れるか」を供給側が決めるのではなく、消費側が決める時代が来た。こういった権力の移行のもと、消費者は、「探せば、自分の欲しいものがきっと見つかる」という確信をもち、「もしなければ、作らせて(あるいは作って)しまえ!」という自由放漫なマインドセットを形成しつつあるのだ。
川下と川上が逆転した市場において、売り手が顧客の支持を得るためには、自らがターゲットとする顧客の声を聞き、顧客ニーズを的確に掴んだ上で、そのニーズを満たす商品やサービスをできるだけ効率よく開発し、顧客の手元に届ける仕組みを構築することが必要となる。この基盤となる“顧客の声を聞く”ということについて、昨今、米国では従来型のマーケット・リサーチやフォーカス・グループなどといったオーソドックスな手法に加えて、さまざまな新しい試みが行われているが、これをうまく実践している企業は残念ながらまだまだ少ない。
顧客の声を聞く:Exit Surveyの失敗例
例えば、Exit Surveyというものがある。これはつまり、離反したお客様の声を聞くためのサーベイのことであるが、米国でも最近になってもてはやされるようになってきた。既存顧客の声を聞くのは当然のことだが、離反したお客様の声から学び、問題点がどこにあったのかを明確にして改善策を捻出することも企業にとっては極めて重要である。問題があった時に進んで苦情を言ってくれるお客様は少数派であり、何も告げずに静かに去ってしまうケースが実は大半を占める。離反した(あるいは離反しようとしている)お客様に物申す機会を与えることで、離反を食い止めることができる、あるいは将来的に顧客として復帰してくれる可能性が倍増するという。
これらの理由から、昨今では、Exit Surveyを実施すること自体が顧客満足を確保するためのベスト・プラクティスとして崇められている風潮がある。しかし、本質的には奨励されるべきExit Surveyも、やり方を誤るとかえって逆効果になる。このことについては、私自身、身をもって体験した。
もう半年くらい前のことになるが、私は、長年付き合いのあった米国の某大手銀行から預金を下ろし、別の銀行に乗り換えた。金利2%くらいのマネー・マーケット・ファンドに投資していたのだが、もっと利回りの良いものがあったにもかかわらず、担当のアカウント・マネージャーが教えてくれなかったのだ。長年この銀行を利用していた私は、自分では、“ロイヤル・カスタマー=それ相応の価値のある顧客”であると自負していたので、この手薄な扱いを不満に思って、口座をやめることにした。
いよいよ解約するという段になって、窓口でなぜかと理由を聞かれた。いちいち説明するのも面倒なので、ほかの銀行に預金を移すのだ、と簡単に言うと、今度は支配人が出てきて、また重ねて理由を聞かれた。仕方がないので、「担当のアカウント・マネージャーの対応が悪いので…」と説明して、解約手続きをし、支店を後にした。私としては、それで事が片付いたつもりだった。
しかし、つい最近になって、この銀行から顧客サーベイと称する電話がかかってきた。日曜日の午後のことである。せっかくの週末に、自宅でゆっくりくつろいでいたところを邪魔されて、出だしから多少不愉快な気分であった。電話の発信地は、近ごろでは珍しくなくなったインドのコールセンターだろうか。ちゃんとした英語はしゃべるのだが、アクセントがきつくて聞き取りづらい。
断ってしまえばよかったのだが、どのくらい時間がかかるのか、とたずねると、すぐに終わる、というので、回答することにした。最初の質問は、「当銀行に満足しているか?」である。半年前に口座を解約した客に、なぜそんなことを聞くのか、と訝しく思いながら、「満足していないから、口座を解約したのだ」と答えた。すると相手は、「それは承知している。だから、その理由をお聞きしたくて、電話をかけているのだ」という。だとすると、最初の質問はまったく無意味である。カチンときたが、あえて異議を申し立てることなしに次の質問を促した。
その先は、アカウント・マネージャーの対応はどうか、テラーの対応はどうか、投資アドバイザーの対応はどうか、など、こまごまとした質問が延々と続いた。それも、YesかNoか、というシンプルな回答方法ではなく、『大変良い、良い、ふつう、悪い』の中からひとつを選び、そしてさらにその理由を述べよという枝分かれ方式で、簡単に答えられる類のものではない。それを、電話で即答せよというのはかなり過大な要求である。おまけに、アカウント・マネージャーとのコンタクト頻度はどのくらいであったか、金利はどのくらいだったか、手数料は…など、半年も前のことを逐一たずねられても思い出せない。
しかも、始めに「すぐ終わるから」と言われたにもかかわらず、コールの始めから20分ぐらいたっても一向に終わる兆しは見えない。「もう時間がないから…」と切ろうとすると「あと少しだから」という。それを了解するとまた次々と質問が続き、挙句の果てには、「将来的に、当銀行のサービスを再利用いただける可能性は…」ときた。この時点ではもうゆうに30分が経過しており、こちらはすっかり腹を立てている。口には出さないまでも、「二度と利用してやるか」という気分でサーベイを完了することなく電話を切った。
この体験を通して、私は、顧客の声というのはただ聞けばよいというものでもない、という確信をますます強くした。まず、顧客の声を聞くに当たっては、その目的を明確に定義することが必要であるし、実践に当たっては、企業の都合ではなく、あくまで顧客の視点に立ったプロセスの設計があって然るべきだと思われる。
顧客理解における第三の側面:エスノグラフィ
昨今では、顧客の声を聞くことにもさまざまな新世代のテクノロジーが導入され、新しい手法が開発されている。かつては、カスタマー・セグメンテーションといえば年齢や年収などのデモグラフィック・データのみが活用されていたところへ、90年代ごろから顧客のライフスタイルや価値観に着目したサイコグラフィという第二の側面が取り入れられてきたが、最近になって注目を集めているのは、“エスノグラフィ”という、民俗学や文化人類学にルーツを置く研究手法である。
エスノグラフィとは、調査対象となるグループの中にリサーチャーが自ら身を置き、観察や体験を通してその行動について学ぶことを指す。ビジネスの世界においては、これは、顧客というグループが“生息”する環境の中に売り手が入っていき、観察や対話を通して、「顧客がどのような問題を抱えているのか」「特定の商品やサービスを顧客はどのように利用しているのか」「特定の商品やサービスを顧客はなぜ必要としている(あるいはしていない)のか」について探求することを意味する。
先月号で医療現場に関する話をしたが、米国のオフィス家具メーカー最大手、スチールケース社(Steelcase)は、ヘルスケアというバーティカル市場にフォーカスを置いたスペース・デザインの会社を新たに立ち上げるに当たって、米国で最も先進的と評価される医療現場を2年間にわたって観察し、ターゲット顧客の抱えるニーズや問題点を知る上での手がかりとした。具体例を挙げれば、現場で働くナースに使い捨てカメラを与え、1日の業務の中で、作業の邪魔やストレスの原因になっていると感じたものについて片端からスナップ写真を撮ってもらうなどということである。スチールケース社では、こういったスタディを通して、より安全で効率的な医療オフィス環境の提案に注力している。
しかし、顧客のもとに実際に赴き、観察を行うのには莫大なコストがかかる。そこで、Webを活用してエスノグラフィを行う、“バーチャル・エスノグラフィ”という手法もお目見えしてきた。特に、企業が独自のオンライン・コミュニティを立ち上げ、既存顧客の中から調査対象として適した顧客層をリクルートして、チャットや掲示板を通した意見交換や投票などのアクティビティに興じさせるというデータ収集/マイニングの手法が話題になっている。
また、米国ではこういったオンライン・コミュニティの企画/運営を、データ集積、分析からレポーティングまで一手に請け負うというサード・パーティー・ビジネスが台頭している。マーケティングのフィールドに身を置く読者の皆さんはよくご存じのこととは思うが、グローバル広告業界最大手のホールディング企業、WPPグループ(WPP Group)がSNSマーケティング会社、ライブワールド(LiveWorld)との合弁事業設立を発表したり、競合のインターパブリック・グループ(Interpublic Group)が、米国の大学生の85%を会員に抱えるSNSプロバイダー、フェイスブック(Facebook)社に出資したりと、従来型マーケティングへの新世代メディア導入の動きも活発に見られる。
テクノロジーとタッチポイントを御す者は市場を制す
米国に、レスキュー・ルーター(Rescue Rooter)という会社がある。排水管の修理サービスを主要業務としている会社で、ほかにも家事代行や害虫駆除など、家のメンテナンスにまつわるあらゆる事業を傘下におく総合サービス会社、サービス・マスター(The ServiceMaster Company)社の子会社である。
最近、自宅の排水管にトラブルがあり、同社のサービスを利用する機会があったが、事無く修理が完了したその翌日、顧客満足度サーベイの電話がかかってきた。しかしこの電話、生身の人間がかけているわけではなく、すべて録音である。「この度はレスキュー・ルーターのサービスをご利用いただき、誠にありがとうございました。当社のサービスに対する満足度を、1を最低値、5を最高値とする、5段階評価でお答えください」というメッセージが始めに流れ、こちらは回答を言うだけという単純明快なもの。決められた質問に択一式で答えるのはこの一問だけで、あとは、「ご回答ありがとうございました。当社のサービスに関しまして、ご質問、感想、苦情、その他コメントなどありましたら、なんなりとお話しください。2分間の録音時間を設けてございます」という自由回答形式である。もう何も話すことはない、と思う人はそのまま電話を切ればよいし、何か言いたいことがあれば2分間は思うがままに話すことができる。排水管工事という、白黒つけやすい単純なサービスに関して顧客の声を拾うには、コスト面から見てもなんとも合理的で、顧客にもストレスを感じさせないやり方だと感心した。
もちろん、録音機械を相手に話すなんて味気ないという人もいるだろうし、これが、どの業界においても、あるいはいかなる顧客や質問に対しても通用する万能な方法であるとは言えない。顧客の本音を的確に掴むには、質問の方式や内容、メディアといった多角的な側面から考え抜かれた戦略を立てることが必要だろうし、なにより適切なタイミングを逃さないことも重要だろう。
テクノロジーがいかに進歩しても、ターゲット顧客の明確な定義と、そのニーズに合致した商品やサービス、そしてマーケティング・メッセージを提供していくことの重要性は変わらない。顧客革命2.0の時代においては、テクノロジーとタッチポイントの両者を御すことが、顧客ロイヤルティを獲得する上での重要な積石となると言えそうだ。
*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(124, 2006-9)に掲載されました。
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