月刊『アイ・エム・プレス』 : No.5 顧客の声、現場の声を活かす組織づくり「顧客を知る、顧客とつながる 顧客主導型市場における米国優良企業の挑戦」

ディズニーが考える“ライフ・タイム・バリュー”とは

「5万ドル(500万円、1ドル=100円)」
とは、エンターテインメント業界の王者であるディズニーにとって一体何を意味する数値か、読者の皆さんには察しがつくだろうか。これは、ディズニーが推定するところの、ディズニー・バケーションの利用顧客ひとり当たりのライフ・タイム・バリューである。ディズニーが運営している企業向け教育機関、ディズニー・インスティテュートのトレーナーに聞いた話だ。

ちなみに、ディズニー・インスティテュートとは、もともとディズニー内部の社員教育を目的として設立されたコーポレート・ユニバーシティ(企業内大学)であるが、世界的に著名なマネジメント・コンサルタントであるトム・ピーターズ氏が、1986年に、著書『エクセレント・カンパニー』の中で同プログラムを紹介したことがきっかけで評判となり、その後、社外の要望に応えて、ディズニー以外の企業にもトレーニング・プログラムを提供するようになった。

米国では、企業内の教育機関であるコーポレート・ユニバーシティが、コスト・センターからプロフィット・センターへと転換できることを立証したモデル・ケースとなっている。

話は多少脇道に逸れたが、ディズニー・インスティテュートでは、トレーニングの参加者に“Business behind Magic(魔法の背景にあるビジネス)”を体感してもらうことを目的としている。“Business behind Magic”とは、「すべての財務的成果は、顧客満足の結果としてもたらされる報酬である」という、ディズニーにお
ける基本的原則を意味する。

ディズニーの“キャスト・メンバー(ディズニーにおける従業員の呼称)”は、その一人ひとりがこの原則を理解し、日々、身をもって実践することを奨励されている。ディズニー・パークでポップコーンを売るキャスト・メンバーも、「その日いくらのポップコーンを売るか」ということを目標として働いているのではない。むしろ、数秒間という一瞬のインタラクションを通して、顧客一人ひとりに、“忘れ難い、卓越した顧客エクスペリエンス”を提供することができるか、ということが目指すべきゴールとなっている。

ディズニーといえば、ディズニー・ランドを筆頭とするアミューズメント・パーク運営事業や、アニメ-ション、ホーム・ビデオといったエンターテインメント・プロパティなど、「娯楽、夢、遊び」といった言葉を想像させる。「ビジネス」という言葉に表現される、理論的で、数値的なイメージとは程遠い。

しかし、実際にディズニー・インスティテュートにトレーニングを受けに来る企業は、医療サービス・プロバイダー、オート・メーカー、金融業者など、業種・業態を問わない。これは、昨今におけるビジネス・リーダーの関心事が、いかに卓越した顧客エクスペリエンスを創造し、成果としての顧客満足を獲得するか、ということに注がれていることを物語っている。

ライフ・タイム・バリューは、「顧客はいずれは離反する」という原則に基づいており、時折耳にする「生涯顧客を育成する」などという感覚とは多少異なる。顧客の“ライフ・タイム”をいかに定義するかは、業界や、取扱商品/サービスの種類によってまちまちであるが、オフィス・サプライ流通におけるライフ・タイム・バリューは3年程度のスパンで考えられるのが一般的だ。ビジネスのゴールは、この限られた“ライフ・タイム”の中で得られる、顧客のバリューを最大化することであり、これには大きく二通りの方法が考えられる。

ひとつは、顧客のロイヤルティを高め、“ライフ・タイム”をできるだけ引き伸ばす方法である。

そしてもうひとつは、限られたライフ・タイムの中で起こるトランザクションの頻度や購買額、あるいは利益率を高める方法である。

こういった考え方に基づくと、ディズニーが定義するところのライフ・タイム・バリューである“5万ドル(500万円)”という数値は、個々の顧客の年齢によって左右されるものではないことがわかる。例えば、80歳で初めてディズニー・ランドを訪れた顧客は、その感動を10人の知り合いに伝えることにより、口コミを通した新規顧客の獲得に貢献するかもしれない。また、孫を連れて、ディズニー・ランドで1週間のバケーションを過ごすかもしれない。

いずれにせよ、このように、顧客の平均的ライフ・タイム・バリューを算出し、それを従業員に知らしめることによりディズニーが意図しているのは、「個々の顧客との一瞬のインタラクションには、5万ドル(500万円)の価値がある」ということを、従業員に認識させることである。子供がうっかり地面に落としてしまったソフトクリームを無料で取り替えてあげるのは、ディズニーにとってはせいぜい数ドル単位の損失に過ぎない。しかし仮に、顧客のライフ・タイム・バリューのコンセプトを理解しない従業員がソフトクリームを無料で取り替えることを拒み、新たに料金を徴収したとしたら、顧客のロイヤルティを失い、何万ドル単位のライフ・タイム・バリューを損ねてしまうことになりかねない。

ディズニーの算出によると、自動車メーカーにとっての顧客ライフ・タイム・バリューは33万2,000ドル(3,320万円)、保険会社の場合は10万ドル(1,000万円)、そして、まったくアメリカらしい例だが、ピザ屋にとっての顧客ライフ・タイム・バリューは推定8,000ドル(80万円)であるという。いかなるビジネスにとっても、自社の顧客の平均ライフ・タイム・バリューがいくらであるかを算出し、経営者がそれを頭に叩き込むだけではなく、従業員の間にも共通の認識として浸透させることが必要だ。

ところで、“ビジネス”としてのディズニーのゴールは、「来場したお客様ができるだけ長い間園内に滞在し、できるだけたくさんのお金を消費し、できるだけ頻繁に訪れ、口コミにより友人知人の来場を促すようなエクスペリエンスを提供する」ことであるという。これは、先に述べたライフ・タイム・バリュー最大化のルールに合致している。

顧客主導型の市場においては、企業が各接点を通じて共通のブランド・バリューを的確に表現し、個々の顧客との感情的つながりをより確固たるものとし、顧客ロイヤルティの獲得につなげることが最優先課題となっている。その一環である「無二の顧客エクスペリエンス」を創造する上で、第一に、コーポレート・レベルでのサービス・カルチャーやビジョンを現場に浸透させること、そして、第二に、「無二の顧客エクスペリエンス」創造のビジョンと現場が抱える問題点について、企業の
リーダーシップと現場が共通理解を確立し、改善に向けてのアクション・プランを協業により策定していくことが極めて重要になってきている。

社内の情報共有を促進する“Cross-Utilization”の意義

企業リーダーシップのビジョンを現場に浸透させ、また、一方で、現場の問題点についてマネジメントの認識を高めるアプローチとして、最近、多くの企業において導入されてきているものに、“Cross-Utilization”と呼ばれるアプローチがある。日本語に無理やり訳すと、「交差活用」とでもなるだろうが、これでは何のことだか意味がわからない。“Cross-Utilization”とは、企業の管理職に就く人を、定期的かつ期間限定で業務職に配置し、その体験を通して、現場の従業員が日々直面する問題点や顧客の声についてフレッシュな洞察を得る機会を与えることを目的とした企業プラクティスである。ディズニーではこれを、略称“Cross-U”と呼び、30年以上も前から実践してきた。

ディズニーの“Cross-U”プログラムでは、クリスマス、イースター、そして春休みシーズンなど、ディズニー・パークの入場者がピークに達する時期に、同社の管理職が現場の業務職と肩を並べて、入場券の販売からアトラクションのアテンダント、園内レストランの清掃まで、アミューズメント・パーク内のあらゆる職務を補佐する。「“Cross-U”は、プリマドンナ・メンタリティを許さないディズニーの企業文化の表れ」とは、ディズニー・インスティテュートのトレーナーの言葉だ。「私は管理職だから、清掃なんてできない」などという態度はご法度である。組織の規模が大きくなればなるほど、トップと現場との間のギャップは広がりやすい傾向にある。

企業のビジョンやミッションに則り、現場が従うべきルールやポリシーを決めるのは管理職の仕事だが、多くの管理職は現実を知らないままにこれを遂行している。日々、顧客と触れ合う現場の従業員の目から見ると、非現実的なルールや、顧客のニーズに即さないポリシーがたくさんある。「こうすれば、もっとお客さんに喜んでもらえるのに…」という類のアイデアは、大抵の会社において、管理側に対する不満の声として、従業員の間でごく日常茶飯事に囁かれている。

企業にとって、最も信頼すべきカスタマー・インテリジェンスの源は、第一に顧客自身、そして第二に日常的に顧客と接する“フロントライン(現場)の従業員”である。この声に耳を傾け、企業の実務を動かす“プロセス”に反映させていく仕組みをつくることが、顧客主導型の時代における優良企業の必須条件となっている。“管理職”という肩書きに甘んじて、現場の感触を失っては、素晴らしいビジョンやミッションもただの“リップ・サービス(口先だけの掛け声)”に終わってしまう。管理職が、日々のデスク・ワークや会議から離れ、顧客と直に向き合い、顧客体験と現場の体験を身をもって知る機会を与えるのが、“Cross-Utilization”の意義である。
“Cross-Utilization”は、もはやディズニーに特有のアプローチではなく、業界や業種の壁を越えて、多くの企業において導入され、実践されている。また、形式は多少異なるが、“オーガニゼーション(整理整頓)用品”という括りで、クローゼットからソルト・シェーカー、旅行かばんに至るまで多種多様な商品を取り扱う米国のスペシャリティ・リテーラー、ザ・コンテナ・ストアでは、従業員を短期間だけほかの部門に出向させ、ほかの業務分野について定期的に体験させる機会を設けている。

例えば、倉庫作業員が、店舗のセールス・アソシエートとして1週間働くことで、倉庫内業務と店舗業務との関連性について洞察を深め、倉庫内業務の改善を通して、店舗における問題点に対する解決策を考案し、ひいては、部門間の連帯意識を強めるといった成果を生み出しているという。

あるコールセンターの失敗例

現場の声を会社のポリシーに反映させることの重要性を物語る例としては、次のような逸話もある。

カスタマー・サービスに電話をしたことのある人なら、誰でも一度は経験したことがあると思うが、コールの終わりに、CSR(Customer Service Representative)から何らかのセールス・オファーを受けることがある。タイミングのよいオファーであれば大歓迎だが、場と状況をわきまえない、いかにもスクリプト通りの、無機的なオファーほど腹の立つものはない。北米のとある金融業者では、CSRが利用するコンピュータ・インターフェイスに、アップ・セル/クロス・セル・オファーのトーク・スクリプトが表示されるシステムを導入した。CSRはコンピュータ・スクリーンに映し出されるオファーを台本どおりに喋ればよいわけで、これより便利なシステムはないはずだった。

しかし、実際に顧客と接しているCSRの視点から見ると、このシステムには2つの大きな欠陥があった。

まず、第一に、このシステムがCSRに自主的な判断の余地を全く与えないものであったことだ。これは、例えば、苦情の電話をかけてきて、すでに怒りや不快感を感じている顧客に対して場違いなオファーをすることによって、さらに怒りを助長させてしまったりする結果を生み出していた。

また、第二に、このシステムには、各CSRが顧客とのインタラクションを通じて得た情報や印象を記録する機能がなかった。例えば顧客がある特定のオファーに対して、「ノー」と言ったとしても、その「ノー」が何を意味するのか…、つまり、全く関心がなく、将来的にも考慮する余地がないオファーなのか、1年後に再コンタクトを望んでいるのか、あるいは、今は時間がないので、後日かけ直してくれという意味なのか…、などという詳細を記録する術がなかった。

結果として、後日、別のCSRが同じ顧客に対応する機会があった際に、状況を理解しないままに同じオファーに関するトークを行い、顧客の怒りを買う、などといった望ましくない事態が発生していた。このシステムを利用していた当時、同社の顧客満足度は低く、同様にCSRの職場満足度も最低限まで落ち込んでいた。顧客の状況を無視したオファーを強いられることに並々ならぬストレスを感じるCSRも多く、CSRの離職率は急上昇した。

鬱屈したCSRの不満の声は、やがて管理者の耳に届き、同社では、コールセンターのコンピュータ・インターフェイスの大幅な改善を行った。まず、オファーの遂行に関してはCSRの采配に任せ、状況に応じて、CSRがオファーを差し控えることができるようにした。オファーを差し控える場合には、CSRはその理由をインターフェイス上に予め与えられた選択肢の中から選ぶか、“備考”という欄に自分の言葉で説明することができるようになった。

また、オファーに対する反応に関しても、同様に、顧客から得た情報やナレッジをCSRが記入し、社内での情報共有を促すとともに、各CSRが、会社という単体として、個々の顧客との長期的なリレーションシップを意識した、継続性のある対応ができるようにした。

その結果、同社における顧客満足度、CSRの満足度はともに向上し、CSRの離職率は低下した。今日では、同社のコールセンター・プラクティスは北米の優良企業のモデルケースとなっている。

市場競争が熾烈化し、イノベーション・サイクルがますます短縮化している今日のビジネス環境においては、カスタマー・インテリジェンスやマーケット・インテリジェンスをいかに効率よく収集し、より敏速な形で、戦略策定や業務改善に反映させることができるか否かが、勝ち組と負け組の明暗を分ける決め手となっている。会社内の風通しを良くし、管理者と現場の意思疎通や共通理解を促すとともに、事業や部門間の情報共有と連携を強化するプラットフォームの構築が模索されている。


*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(120, 2006-5)に掲載されました。
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