「上司不在の職場」について考える

「上司不在の職場」とは?
米ウォール・ストリート・ジャーナル紙上の『上司不在の職場にようこそ』という記事に目を引かれた。

同記事には、「上司不在の」あらゆる職場の例が挙げられている。例えば、ワシントン州を本拠とするバルブ(Valve)社というゲーム開発会社の例。バルブは少し前、その奇抜かつユーモアたっぷりな新入社員ハンドブックがウェブに流出し米国では大いに話題になった。

そのハンドブックの中でも述べられているように、バルブでは「上司不在の職場」ということを非常に強調している。バルブでは、社員の日常業務を「監督/管理」する従来的な意味での「中間管理者」という役職はなく、社員は自らプロジェクトを選ぶ。会社の価値観として「機動性」が重んじられ、その象徴としてワーク・デスクにはすべて車輪がついている。固定の「配属部門・部署」というものがないので、社員はプロジェクトが変わるたびに新しいチームに机ごと移動するのだ。

固定の「配属部門・部署」をもたない企業組織はバルブの他にも事例がある。社員が自らプロジェクトを選ぶ会社というのも昨今ではちらほら耳に入ってくるようになった。「上司不在の職場」とは衝撃的な言葉だが、多少関連性があると思われるものとして、「民主的な企業」などといった言葉も出現してきている。それらがいったい何を意味するのかを今日は考えてみたい。

中央集権型から現場分散型へ
worldbluまず、個人的には、「上司不在の職場」というのは、「上司がいない職場」という文字通りの意味ではなく、「権限の所在が『上司』と呼ばれる一部の人たちにあるのではなく、大多数の『社員』たちに分散されている職場」という意味ではないかと思っている。

「民主的な職場の推進」を旗印に、「世界で最も民主的な企業」の認定を2007年から行っているワールドブルー社では、「民主的な企業」の原則として、「社員に意義ある選択肢を与える」、「権限の分散が公正かつ適正に行われている」などを挙げている。

例えば、先述のバルブの例をもうひとつ挙げると、バルブでは、昇給は「上司」や「人事」が決めるのではなく、同僚による「ランキング」に基づいて決められる。これは、「社員の価値査定」の権限が「チーム(同僚)」に分散されているという考え方である。

採用や解雇も同様。これはバルブばかりではなく、ネット通販のザッポス社や、環境に配慮したハイエンドなホーム・ケア用品の開発・製造を手がけるメソッド社、店舗小売業では世界最大のナチュラル・オーガニック・スーパー、ホール・フーズ・マーケット社も実践している。チームが人選のフィルターとなるホール・フーズ・マーケットの例は先日のブログにも書いた。

民主的とは「万人のため」にあらず
「上司不在の職場」が機能するための前提条件は、「高いモチベーションをもった人材を確保すること」だと記事は述べる。また、「民主的な企業」を認定するワールドブルーも、「企業が民主的である」ということは、「万人に合う環境をつくること」ではないと定義する。

「上司不在の職場」が機能するためには、「個人の適性」以外に、組織的な前提条件もあると私は思っている。工業経済社会の遺産として引き継がれてきたマネジメントの考え方では、「指令による制御」が基本となっていた。しかし、「上からの指令」を取り除き、現場で働く社員の一人ひとりに権限を委譲するとなると、組織の統制は何をもってしてとられるようになるのか。

「指令」にとって代わるのは、社員間での目的意識と価値観の共有である(因みに、これはワールドブルーによる「民主的な企業」の基本原則のひとつともなっている)。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事の中にはこれは述べられていなかったが、職場での「自由=権限委譲」が成立するためには、これが必要不可欠だと私は思っている。

「上司なんかいらない」と言われないために
それにしても、「上司不在の職場」から読み取れるのは、現状として、いかに「上司」という言葉がネガティブな概念と結びついているかということだ。「上司不在の職場」を描写する形容詞は、フラット、敏速、やる気に溢れた、柔軟性に富んだ・・・などだが、そうだとすると、「上司がいる職場」は階層的で、行動が鈍く、やる気に欠け、柔軟性に乏しいということになるか・・・。

「上司」とよばれる立場にある人にとっては、耳の痛い警告である。「上司なんかいらない」と陰口を叩かれないためにも、組織に付加価値を与える上司になるためには、どんな人間であるべきかを自問自答せねばならない。これについてはまた別の機会にじっくりと考察してみたいが、まず言えることは、人に信頼される行動や言動をとることである。「指令による制御」が働かないとすれば、人が心から、「ついていきたい」と思うような人になる努力をせねばならない。

そして、チームの潤滑油となることである。これは別に八方美人になれということではない。自分が人気者になるというよりは、チームの人たちがつながりを深め合えるような「お世話役」として働かねばならないということだ。これは時に、みんなが口に出しにくい問題点を指摘したり、居心地の悪い議論の口火を切ることでもある。

最後に、ザッポスのCEOトニー・シェイの引用になるが、「インスピレーションを与える人」になるということである。「インスピレーション」とは、日本語でニュアンスの伝わりにくい言葉だが、私は、「自分のあり方によって人の心を動かし、自発的な行動へと突き動かす人」であると思っている。これらのことを総合すると、これからの「上司」には、IQならず、EQ(こころの知能指数)がますます問われるようになってくるということだ。