月刊『アイ・エム・プレス』 : No.1 アンハッピー・カスタマーの誕生「顧客を知る、顧客とつながる 顧客主導型市場における米国優良企業の挑戦」

顧客のエモーショナル・サイクルの変化

1990年代後半から2000年代初頭にかけてのインターネットの台頭以来、企業はこれらの新しいテクノロジーをいかにして、よりコスト効率的なオペレーションの実現やより良いサービスの提供につなげたらよいのか、というところに関心を注いできた。

しかし、2000年代も中盤に差し掛かった今、また新たな潮流がビジネス界に押し寄せつつある。これは、アメリカ、日本という国境を越えたグローバルな潮流であり、B to B、B to Cを問わず、買い手サイドのいわば“エモーショナル・サイクル(感情サイクル)”つまり、インターネットが導入期から汎用期に移行したことに伴い、買い手のムードが変化したことを引き金として、お客様のエモーションにフォーカスを置き、お客様を満足させるとともにロイヤルティを高め、結果としてお客様のエモーショナル・バリューを企業価値、株主価値へと変換していくモデルづくりを企業に強いるものである。

こうした流れが起こってきた理由は、インターネットという革新的テクノロジーの発達により情報のユビキタス化が進み、買い手の間で商品情報や価格情報の可視性が高まっていく中、商品のコモディティ化が引き起こされ、もはや商品そのもののクオリティや価格といった要素を通しては競争優位が築けなくなってきていることにある。また、商品市場においては安いものと高級なもの(ノン・コモディティ)の二極化がますます進んでいる。こういったことを背景に、B to B、B to Cを問わず、ただ安いというだけでは満たされないニーズを抱えた欲求不満なアンハッピー・カスタマー層が増殖してきている。インターネットが世に普及し始めてきた当初、商品情報や価格情報がマウスのクリックひとつで得られるということから、「探せばもっと安いものが見つかるのではないか」という心理が買い手の意識の中に芽生え、“さらに安いもの”を求め、Web上を駆け回るという購買行動が生まれた。

しかし、こういった低価格の追求が本当の意味での顧客満足につながるかというと必ずしもそうではない。昨今では、顧客は低価格を求め、Webをサーフすることにある種の倦怠を感じている。いくら安い商品を掘り当てたところで、「もっと探せば、もっと安いものが見つかるのではないか」という不安が常にある。こういった不安が慢性的な欲求不満に悩む顧客層を生み出しており、これらの顧客層に自らの価値観の見直しを余儀なくさせている。顧客は、今日、低価格を求めて数多くのベンダーを渡り歩くのではなく、自分のニーズについて熟知し、自分の欲求を満たしてくれるような、信頼できるベンダーとの長期的なお付き合いを求めている。売り手企業としては、この変化を好機ととらえ、この変化を新たなビジネス・チャンスにつなげるような新しいモデルを考案していくことが必要だ。例えばオフィス・サプライの調達ひとつを例にとっても、買い手側のこういった欲求は明白である。

弊社(ロサンゼルス)は従業員15人前後のオフィスであるが、つい最近まで、オフィス・サプライの購入は購買担当者が三大スーパーストア(B to Bサプライヤー)の価格を比較して一番安いところから買う、といった購買形態をとっていた。

元来、アメリカのオフィス・サプライ・スーパーストアはいずれも、いかにしてカタログやインターネットを通してロウ・プライス・プロモーション・キャンペーンを行い、単発取引を確保するかというところに非常に力を入れてきた。

弊社においても、いちいちそういったスペシャル・プロモーションを探し、その時々で価格の一番安いところから購入するという方法をとってきたが、そういった購買パターンにはそろそろ疲れ始めている。特に、オフィス・マネージャーや一般事務職員が購買担当者を兼任しているような小規模なオフィスにおいては、購買担当者が最低価格の商品を探すためにリサーチに費やしている時間も実はばかにならない。

そういったわけで、われわれのような小規模なビジネス顧客は、時と場合によってサプライヤーをころころ変えるのではなく、信頼できるひとつのサプライヤーとステディなお付き合いをしたいと切に望むようになってきているのだ。

顧客のニーズがこのように変化している中、サプライヤー企業にとっての課題は顧客の“エモーショナル・サイクル”の変化を緻密に観察し、これをビジネスに取り入れていくための仕組みを構築することである。

オフィス・サプライ流通業界における戦い

ダイナ・サーチは、過去20年間にわたり、カリフォルニア州ロサンゼルス市に本社を置き、アメリカのオフィス・サプライ流通業界の変遷を目の当たりにしてきた。アメリカのオフィス・サプライ流通業界においては、1986年にオフィス・サプライ・スーパーストアという新しいフォーマットが台頭し、当初は低価格戦略で顧客の圧倒的な支持を集め、独立系のいわゆる“街角の文具店”をほとんど根こそぎにしてしまった。そして現在、アメリカのオフィス・サプライ業界ではスーパーストア3社がメジャー・プレイヤーとして連立しているが、このうち首位を争っている2社の、過去約10年間の軌跡に着目してみよう。

まず、A社は、アメリカのオフィス・サプライ市場において2001年までトップの座に君臨し、地理的市場の拡張というところにフォーカスを置き、グローバル化の波に乗ってどんどん海外市場拡張を進めていった。

片やB社は、1990年代の後半から2000年代の初めにかけて、めったやたらな市場拡張ではなく、むしろ、主にアメリカ国内におけるターゲット顧客層に照準を合わせ、“顧客中心主義”というコンセプトを柱に、顧客満足を向上させ、顧客ロイヤルティを構築する組織づくりや仕組みづくりを目的としたプロジェクトに力を注いできた。

その結果、両者の立場は逆転し、2002年にはB社がA社を抜いて業界首位のポジションに立ち、その後ますますA社との差を広げていくばかりという状況になっている。これは、両者間の明らかな戦略の違いに起因している。

A社が、海外市場という外的要素に成長のよりどころを見出し、拡張路線をとってきたのに対し、B社は、顧客主導型の市場において、企業が最も重視し、戦略的に管理すべきアセットは既存顧客とのリレーションシップにほかならないと認識し、顧客のエモーショナル・バリューをいかにして企業価値、ひいては株主価値の創造へと結び付けるか、という点においてさまざまな試みを重ねてきた。

B社が、顧客主導の市場において絶対的な優位性を築くに至ったのは、まさにその切磋琢磨の表れであろうと推察される。

“顧客中心主義”は机上の空論?

2000年代の初頭、パトリシア・シーボルトをはじめ多くの著名コンサルタントが「個」客革命や顧客主導型市場の到来に関する本を著し、“顧客中心主義”という言葉が世界中のビジネスマンの間でもてはやされるようになった。これらの書物の多くは日本語にも翻訳され、出版されているので、皆さんの中にも読まれたことのある方も多いと思う。

これらの書物は、企業の経営や戦略策定に携わる者にとって、重要なコンセプトや方向性を示唆してくれるという観点からは非常に有益なものであるが、残念なことに、企業がビジネスの実践において、どうしたら顧客中心の組織になれるのか、“顧客中心主義”ということをいかにして企業のビジネス・システムやプロセスに落とし込んでいったらいいのか、ということについて具体的に解説するものではない。元来、書籍というものはあくまでマスの読者を対象にするものであり、特定の業界や市場に特化してノウハウを提供することを目的とするものではないので、こういった本が顧客中心主義の企業とは何ぞや、というところについて深く突っ込んで語っていないのは当然といえば当然のことである。

しかし、“顧客中心主義”は決して机上の空論ではない。アメリカには、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、この“顧客中心主義”というコンセプトを模索し始め、自社の属する市場や業界に特化した独自のシステムやモデルを築きあげてきた企業があり、昨今、こういった企業が業績や市場リーダーシップといった観点から目に見える成果を上げ、頭角を表しつつある。

弊社では、これらの事例を分析し、こういった企業の成功要因はいったいどこにあるのか、企業が“Customer Centric(顧客中心)”であるというのはどういうことなのか、ということの核心をつくことを目的に、今後、一連の記事を書いていきたいと思っている。

プロジェクト・プロセスの重要性

1990年代の後半、インターネットという新しいテクノロジーが台頭してきたころには、“ニュー・エコノミー”などという言葉が、デジタル経済、あるいは情報経済を意味する言葉として巷の流行となったが、今日、それに代わる“カスタマー・エコノミー(顧客経済)”という大きな潮流が、アメリカ、日本を問わずグローバルなビジネス環境に押し寄せてきている。

それに伴い、従来のセールス/マーケティングという概念についても、顧客の視点からこれを見直し、再定義し、今までにない全く新しいモデルやシステム、あるいは組織を創りあげていく必要性に迫られている。

顧客主導型企業への転換には、顧客サービスの向上であるとか、新しいマーケティング・プログラムの導入などといった局部的な処置ではなく、まさに企業革新や組織変革とでもいうべき抜本的改革が要求される。そしてこういった抜本的改革を遂行するためには、どうしてもビジネス・プロジェクトのコンセプトに関する深い理解や専門的技能が必要となってくる。

しかし、日本の企業経営者の間では、ビジネスにおけるプロジェクト・プロセスの必然性に対する認識がまだまだ薄い。

また、企業革新においては、データベースやCRMなどといったツール開発が先行するプロセスではなく、あくまで総括的な理念やビジョンを理解した上で、その“グランド・コンセプト”に基づいてツールが考案されるというプロセスがとられるべきだが、日本企業においては往々にしてこのプロセスが逆さまになってしまうことが多い。そればかりか、ツールの開発と導入ばかりにリソースが集中されたあげく、理念を欠いた抜け殻だけの“顧客中心主義”が横行しているといったケースもある。

こういった、プロジェクト・プロセスの重要性に対する認識の低さ、そして、土台を作らず家を建てるという“ツール先行型思考”が、日本のビジネスの土壌で顧客主導型組織が創造される上での大きな障壁となっていると考える。

今日、長期的な展望での成長を望む企業にとって、顧客主導型組織への転換は避けて通ることのできないあまりにも重要な課題である。

1990年代の後半からアメリカの優良企業が取り組んできた組織改革、その成功と失敗から、日本の企業経営者が学べることは多い。企業が顧客中心主義であるということは、「顧客を知り、顧客とつながる」というごくシンプルなコンセプトが基盤になっているが、このコンセプトを戦略的かつシステマティックに実行に移していくのは極めて困難だ。アメリカでは、こういった“顧客主導型企業”への革新を目指したBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)の実践において、企業をサポートするコンサルタントやエキスパートが大活躍しているが、本連載では、こういった専門家の見解も交えてお話ししていく。

日本とアメリカという2つの異なる社会/文化に跨り、両者のビジネス環境における相違点や共通点について理解する立場から、ダイナ・サーチでは、企業が、顧客の視点に立ち、自社のビジネス・モデルや価値提案を再設計するということは一体どういうことなのか、顧客満足を顧客価値に、そしてひいては企業価値、株主価値の創造につなげていくためには、企業は、どういった方策に取り組むべきなのか、ということについて、日本の読者の皆さんと一緒に考察していければ、と考えている。

*本記事は月刊『アイ・エム・プレス』(116, 2006-1)に掲載されました。
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