月刊 『商業界』: ハッピーな従業員がハッピーな顧客をつくる

「幸せ」を届ける企業の幸せの連鎖

米国ラスベガスの郊外のヘンダーソンという町に、「幸せを届ける」ことを使命としている企業がある。

「幸せを届ける」などと聞くと、保険会社か結婚式場か、あるいはホテルなどのホスピタリティビジネスが連想されるが、実際は靴やアパレルなどを販売するネット通販の企業である。

その名も、「Zappos(ザッポス)」。1999年の創業から10年足らずで年商10億ドルを突破し、この不況下、前年対比1.5倍の成長を記録している驚異の企業だ。

その快進撃の秘密は、ハッピーな従業員がハッピーな顧客をつくるという「幸せの連鎖」にある。雑誌「フォーチュン」が毎年発表する「最も働きたい会社ランキング」で、2009年に初登場して堂々23位に輝き、10年には15位にランクイン。同社では、「たまたま靴を売っているにすぎないサービス・カンパニー」を標榜する。

そして、顧客の心をとりこにする「WOW(驚嘆)」のサービスを提供するためには、まず従業員を「WOW(あっ!)」と言わせなくてはならないというのが、ザッポスの人財主義経営の基本だ。「利益」よりも「顧客ハピネス」や「従業員ハピネス」を優先するザッポスの経営理念は、極端な利益追求型経営にさいなまれてきた近年米国のビジネス界に大きな衝撃を与えている。

「靴をネットで売る」という非常識への挑戦

ブランド・スタイル・色・サイズが無数に存在する靴は、実は究極の「ロングテール商品」である。「店舗という物理的な制約を超えて、限りなく無限に近い品をそろえたネット・ショップをつくったら・・・」という発想からザッポスは生まれた。

しかし、元来、靴は試し履きしてから購入するものだ。初期の同社には、「試し履きもせずに靴を買う」ことに対する消費者の心理的障壁を乗り越えるという大きな課題があった。
「ザッポスのサービスを試してもらうには、どうしたらいいか」

そう頭をひねった揚げ句に、創案したのが、「送料無料」「返品は購入後365日以内ならいつでもOK」というサービス・ポリシーであった。「送料無料」は、購入した商品を届ける時と、返品の両方を含んでいる。驚くべきことに、同社では、靴を発注する時に、サイズが違うものや、スタイルの異なるものを複数発注することを奨励している。届いた靴を履いてみて、合わないものや気に入らないものはどうぞ返品して下さいというのだ。

似たようなサービス・ポリシーは、今でこそ靴のネット通販の常識となっているが、このパイオニアとなったのがザッポスである。これが奏功して、顧客はうなぎ上りに増えていった。

次に取り組んだのがリピーターになってもらうことである。ごく自然な発想として出てきたのが、「一度体験したら二度と忘れることのできないサービス」を提供することだった。随分と単純過ぎるように思うかもしれないが、同社はこれに徹底して取り組んだ。

というのも、同社は創業期、苦しい財政事情から新規顧客獲得のための広告を打つお金さえなかった。創業当初から、「倹約」ということが必然から生まれた不文律となっていたのだ。

「お客さまが忘れられないサービス」「家族や友人、知人に話したくなるようなサービス」を提供することが、新規顧客獲得の面でも、既存顧客維持の面でも、広告にはるかに勝るマーケティングの方法であると、ザッポスは確信していた。

ザッポスの語り継がれるサービス伝説

ある女性が、病気の母親のためにザッポスで靴を買った。ほとんど寝たきりの生活を送っている母親は、元気なころに比べると見る影もないくらいにやせ、それまで履いていた靴が合わなくなっていた。どのサイズが合うのかもわからないが、同社であれば送料は無料なので、サイズの異なる靴を何足かオーダーしたのだ。

しかし、それから間もなく、母親は死んでしまう。葬儀の手配などで忙殺される女性のもとに、ザッポスからメールが届いた。内容は、買った靴の具合を訊ねるもの。女性は、母親の死後の後片付けで大変であること、返品したい靴があるが、今は手配できないので、ちょっと待ってほしいことを返信メールに書きつづった。

すると、ザッポスから「返品が必要な靴に関して、こちらで集荷サービスを手配しますから、どうかご心配なさらず・・・・・・」という返信が届いた。母親に死なれた女性の心労を気使い、特別に手配をしてくれたのだ。女性は、この「企業らしからぬ振る舞い」にいたく感謝した。

この話にはまだ続きがある。翌日、女性の玄関先に、色も鮮やかな花束が届く。誰かと思ってメッセージカードを開けると、それはザッポスからだった。

「感極まって、どっと涙がこぼれました。人の親切にはもとから弱い私ですが、今まで人さまからしてもらったことの中で、これ以上に心を打たれたことを思い出せません」女性は後日、この体験をそう、ブログにつづった。

ザッポスでは、こういったサービス伝説が、日々生まれている。そして、その一つ一つが、サービスをクリエイトする人(ザッポス従業員)にとっても、顧客にとっても、オンリーワンの体験なのである。

顧客にWOWを!常識外れのコンタクトセンター

個々の顧客に対応する、真の意味での「オンリーワン」の体験は、どこから生まれるのか。

同社のコンタクトセンターには、マニュアルもなければ、コールスクリプトもない。普通のコンタクトセンターでは、オペレーターの生産性の指標として、顧客対応1件あたりの時間を測ったり、制限を設けたりしているがそれもない。顧客にWOW(驚嘆)を提供するためなら、ほとんど何をしてもよい、どんなに長い時間をかけても構わないというのが、同社の考え方だ。ちなみに、今までの最長通話記録は6時間弱であるという。

仮に、その6時間の通話が発注につながらなかったとしても、同社ではとがめられることはない。顧客対応の目的は「売る」ことではなく、「お客さまと一人の人間として向き合い、心に触れるつながりを築く」ことだからだ。

個々の従業員に権限を与えて、おのおのが「正しい」と考えることを自由にやらせる経営哲学は、理論上は素晴らしいものだ。しかし、その実践は難しいという反対派の声も聞こえなくはない。みんなが勝手に、思い思いに動いては会社としての統制も取れなくなり、ブランドも壊れてしまうのではないかと思うからだ。

「だから、価値観の共有、そして、堅固な企業文化が必要なのだ」と、CEOのトニー・シェイは言う。「まず、サービスを中核とした企業文化を築いて、はぐくむこと。そうすれば、成果は後からついてきます」

従来の考え方では、「本業」の運営にかかわるもろもろのことを整備した上で、「補足」的なものとして取り組まれる「企業文化」が、同社ではなくてはならない経営基盤と考えられ、競争優位の秘密としてとらえられている。それが、同社が「今日、アメリカで最も革新的な企業」の一つに数えられるゆえんだ。

感動のすべては、コア・バリューから始まる

同社では、100人前後の規模に成長したころ、企業文化を形にする取り組みに全力で着手した。最初に手を付けたのは、「コア・バリュー」と呼ばれる、ザッポス従業員が共有すべき価値観の成文化だ。37項目からなる「コア・バリュー原案」をトニー・シェイが自らまとめ、発表し、1年をかけて全従業員からのフィードバックを募った。こうしてまとめられた「ザッポスのコア・バリュー10カ条」は、下記のとおり。
1. サービスを通して、WOW(驚嘆)を届けよ
2. 変化を受け入れ、その原動力となれ
3. 楽しさと、ちょっと変わったこと、をクリエートせよ
4. 間違いを恐れず、創造的で、オープン・マインドであれ
5. 成長と学びを追求せよ
6. コミュニケーションを通して、オープンで正直な人間関係を構築せよ
7. チーム・家族精神を育てよ
8. 限りあるところからより大きな成果を生み出せ
9. 情熱と強い意志を持て
10. 謙虚であれ

06年にコア・バリューの成文化が完了したが、今では、社内のありとあらゆる仕組みが、コア・バリューに基づいて成り立っている。まず、人事採用。どんなに経歴や技能が優れていても、ザッポスの文化に合わない人は雇わない。これは、どんな役職や部門でもそうだ。コア・バリューに基づき、候補者の「カルチャー・フィット(文化適性)」を査定する面接があり、その結果次第で採用の是非が判断される。

また、継続的な人事評価も、コア・バリューに基づいて行われる。ただ、仕事ができるだけでは評価されない。コア・バリューに外れた行動をとる人には、直属の管理者から「警告」が与えられ、一定期間中に是正の努力が見られない場合は、解雇処置がとられることもある。「コア・バリューに基づき採用し、コア・バリューに基づき解雇する」覚悟と一貫性がなければ、どんなに「企業文化の重要性」を唱えても無意味だとトニー・シェイは主張する。

「個」の尊重こそハピネスの絶対条件

コア・バリューの第3条は、「楽しさと、ちょっと変わったこと、をクリエートせよ」である。これには、「はみ出すことを恐れず、個性の発揮を奨励することで、個々の従業員が革新の火種になるような会社でありたい」というトニー・シェイの思いが詰まっている。

この精神は、同社が最も重要としている「WOW(驚嘆)のサービス」の創造には欠かせないことである。顧客の期待以上のことをするためには、既成概念にとらわれては駄目だ。個々の顧客のニーズと、それに対応する従業員の創造性が融合して初めて、感動が生まれ、「忘れ難い体験」が成就する。

だから同社は、社内の環境の中から、従業員の「個」の尊重に徹底的にこだわっている。思い思いの服装や髪型をした従業員たち。二の腕を覆うタトゥーや、鼻やくちびるを飾るピアスも珍しくない。デスクの周囲は、思い思いのディスプレーで飾られている。各自のデスクだけでなく、オフィス内のさまざまな装飾も有志の手によるものだ。また、それぞれにユニークな名前が付いた会議室は、各部門が担当して、時には週末返上で内装を施した。

規則に縛られない自由な服装や、部門同士が創意工夫を競う会議室の飾りつけなど・・・・・・、それらは単なる話題づくりであって、仕事の質や生産性とは何の関係もないという人もいるかもしれない。しかし、トニー・シェイは、「個」の尊重とチーム意識は従業員ハピネスの絶対要因であり、会社の業績にも好影響をもたらすと主張する。

21世紀企業の課題 市場の変化についていけるか

ビジネスや経営といった世界に身を置く私たちは、ともすれば、生活者の視点を忘れがちだ。しかし、今一度、職業や役職という色眼鏡を外して、生活者の立場に返って考えてみると、この10年間でわれわれの住む世界はすっかり様変わりしてしまったことが、あらためて実感できる。

90年代後半に台頭してきた「ウェブ」というライフスタイル・インフラ。それ抜きでは、もうわれわれの生活は考えられなくなった。今では、仕事でも、娯楽でも、学習でも何でもウェブがつきまとう。ウェブは、一般生活者に、自己表現の力とつながる力を与えた。今日では、誰でも、ウェブを使って自分の意見を発信することができる。そして、その意見が、数百、数千、あるいは数万単位の人々によって読まれることも、もはや夢ではないのである。

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)やツイッターほか、あらゆる仕組みを通じて、見知らぬ人々がつながり、共通の趣味や嗜好や主義によってくくられた「部族」を形成していく。物理的障壁を超えて、一瞬にしてつながった「部族」たちが、世論や購買力を動かした例も少なくない。顧客であれ、従業員であれ、「個」が驚くべき影響力を持つ時代になった。

自己主張することに慣れたウェブ時代の顧客は、「個」として扱われることを求めている。自分は、他人とは違う。自分なりの事情があり、ニーズがあるのだ。それなのに、マニュアルにならって、お隣さんと同じように扱われるサービスはご免だ、と顧客は抗議の声を上げている。

「個」として扱われることを欲する顧客には、「個」としての従業員で応じよう。それが、ザッポスの考え方だ。従業員を「労働力」として扱うのではなく、創造力、感性、思いやりなど、「人」にしか内在しない底知れないパワーを発揮してもらおう。それが、ザッポスの「サービスを超える」アプローチである。

顧客の「個」と従業員の「個」が触れ合った時、感動が生まれる。感情を揺り動かす体験は、「良いサービス」の域を超え、本当の意味での「唯一無二」となる。トニー・シェイの言葉を借りれば、「お客さまは、『何をしてくれたか』は覚えていないかもしれない。だけど、『どんな気持ちにさせてくれたか』は決して忘れない」ということになる。

「誰かが得をすれば、誰かが損をする」というゼロサム理論に基づく競争に未来がないことは、近年アメリカの経済破綻が証明した。「従業員から搾取して、会社が儲かる」「顧客に損をさせて、会社が儲かる」という考え方はもはや存続可能ではない。

これは、そもそも会社とは誰のもので、何のために存在するのか、という問いかけに行き着く。突き詰めれば、会社は共同体で、共同体の利益のために存在するのだ。そして、この「共同体」とは、働く人たち、顧客、そして社会を意味する。これらの人たちを幸せにすることが、会社の使命である。

ザッポスの「強さ」は、この「共同体」という考え方にある。これまでに述べてきた「顧客思いの」サービス・ポリシーの数々-24時間休みなく働くコンタクトセンターや、必要とあれば何時間でも相談に乗ってくれる従業員たち、顧客に好きなだけオーダーさせ、好きなだけ返品させる、しかも送料無料のサービス。勿論、これらは膨大なお金の掛かることである。

また、「従業員思いの」制度の数々も、注目に値する。ザッポスは、従業員教育にも、普通では考えられないほどの投資をしている。5年から7年の期間をかけて、従業員を管理者に育て上げるという社内教育の仕組みも、コンタクトセンター従業員のために、いろいろなスキルを認定制にして、それを昇給と結びつけた「スキル・セット」の仕組みも、従業員が「生涯働きたいと思える会社」を築くための多大な投資である。

ザッポスの利益率は業界平均からしても決して高くない。だから、「ザッポスは優良企業のモデルではない」と批判する声もある。

だが、ザッポスは損失を出しているわけではない。いわば、利益を顧客と従業員に分配し、並みをはるかに超える勢いで成長を続けているのだ。

既存の「常識」を打ち破り、前人未踏の新しいモデルを打ちたてる過程には、痛みと数限りない軌道修正が要求される。しかし、ザッポスはこの偉業に、あくまで軽やかな姿勢を失わず、果敢に挑戦している。従業員の幸せと、顧客の幸せの両方を追求することで、利益が永久的に循環するビジネスの生態系を、ザッポスは築こうとしているのだ。

*本記事は『商業界』(2010年11月号)に掲載されました。
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