代表石塚しのぶが米経営の最先端を
戦略的ビジネス眼で読み解きます

2021 年、経営者/企業リーダーがフォーカスすべきは「企業文化」

毎年、年末には「新年に向けてのトレンド予測」的記事が数多く見られる。今年も例外ではないが、先行きがこれほどまでに不確かで予測がつけがたい年もない。しかし、経営者や企業リーダーが、今後に向けて備えるうえで確実にできる/やるべきことがひとつある。それは、会社の文化を整備することだ。社内の文化を育むことは、耐久性の高い組織をつくり、優秀な人材を維持することにつながる。

トニー・シェイとの思い出:第9回ザッポスと「セルフ・オーガニゼーション」―「コネクター」としてのトニー・シェイ

最後にトニー・シェイに会ったのは2019年9月6日、ロサンゼルスのダウンタウンで行われたイベントの際だった。「企業文化の基本要素」という題だったが、ザッポスにおけるホラクラシーの変遷と「セルフ・オーガニゼーション」の今後の展望について語るものだった。ロサンゼルスのダウンタウンの会場に現れたトニーははつらつとして元気がよかった。トークからも、「ホラクラシー」という実験期間を終え、ザッポス独自の「セルフ・オーガニゼーション」の形が見えつつあるのだ、という確かな手ごたえが感じられた。

トニー・シェイとの思い出:第8回新社屋(ラスベガス旧市庁舎)のオープニング・セレモニー

2013年9月9日は、ザッポスの歴史において最も輝かしい日だった。ラスベガスのダウンタウンの旧市庁舎が約二年半越しの改築を終え、ザッポス新社屋として生まれ変わった日だ。そのオープニング・セレモニーに私も招待され、出席していた。

トニー・シェイとの思い出:第7回「ダウンタウン・プロジェクト」―トニー・シェイが見せてくれた壮大なビジョン

2010年11月にザッポス本社がラスベガスのダウンタウンにある「ラスベガス市庁舎」の建物に移転することが発表され、その大がかりな改装工事が着々と進んでいた。そして、「世界で最もコミュニティ・フォーカスな都市をつくる!」という壮大なビジョンを掲げ、トニー自らのポケットマネー350億円を投じてダウンタウンの町おこしプロジェクトが走り出したばかりだった。

トニー・シェイとの思い出:第6回トニー・シェイ来日特別チャリティ講演―東京、日本橋が「幸せ」に包まれた日

2011年11月21日、『ザッポス社CEOトニー・シェイ来日特別チャリティ講演』の幕が上がった。当初は4月の中旬に予定していたのが東日本大震災のために延期となったが、関係者の努力と日本のビジネス界の皆さんの温かい支援を受け、プロジェクトは実現した。トニー・シェイも、共演者でトニーの「第二の脳」として知られていたジェン・リムも私たちの期待を超え、覇気みなぎる素晴らしいプレゼンをしてくれた。

トニー・シェイとの思い出:第5回父、リチャード・シェイ氏との出会い

2011年1月5日、私はザッポスの本社で、トニー・シェイの父・リチャード・シェイ氏からお話を伺うことができた。インタビューが行われたのはトニーが37の誕生日を迎えた直後。今からちょうど十年前のことだ。私はリチャードにこんな質問をしている。「父親として、これからのトニーの人生に望むことは?」・・

トニー・シェイとの思い出:第4回『ザッポスの奇跡』出版とネット・マーケティング

ザッポスでの取材旅行から帰宅後、何十時間にもわたるインタビューの録音テープを起こすことから始まり、本の出版に向けて会社をあげて取り組んだ。ザッポスという、この稀有で驚くべき会社について、一刻も早く日本のビジネスの人たちに知ってほしい一心だった…

トニー・シェイとの思い出:第3回ザッポス社滞在―『ザッポスの奇跡』を書くまで

ザッポスへの取材旅行に出発したのは2008年9月下旬。私のオフィスがあるロサンゼルスからは、ラスベガスは飛行機で飛ぶと一時間弱のところだ。取材をしてみると、ザッポスは一般のテクノロジー・スタートアップに見られるような派手さはなかったけれども、愛情にあふれていた。「この会社をみんなで守り立てていくんだ」という情熱が、その空間にいるだけでひしひしと感じられた。一度訪れたら好きにならざるをえない、愛すべき会社だった。

トニー・シェイとの思い出:第2回ザッポス本社に初めての訪問―未知の世界へ

『Community 2.0』カンファレンスでトニーのスピーチを聞いた約一カ月後、私はラスベガスのマッカラン空港に降り立った。ザッポス社訪問のためだ。本社に着いて「ザッポニアン(ザッポス社員)」に囲まれて半日をそこで過ごしてみると、度肝を抜かれることの連続だった。ザッポスで見聞きしたことは期待をはるかに超える、いやそれどころか、私がそれまでに見たことも、想像したこともない「会社」の姿だった。