ビジネス・ヒストリー

How It All Began - ダイナ・サーチの誕生

トニー・シェイの講演を運営するダイナ・サーチ代表の石塚しのぶ
「起業したい!」と思い始めたのは、アメリカの会社に勤めて10年くらいの頃でした。

勤め先に不満があったわけではありません。責任ある仕事を任されていましたし、給料も申し分ありませんでしたし、何より気の合う仲間と仕事をすることは楽しいことでした。

しかし、私の中で、常に頭をもたげていたある「想い」がありました。それは、「アメリカで生きる『日本人』として、役に立つ仕事がしたい!」という想いでした。

その想いに気付いたら最後、もはや無視し続けることはできず、起業を決意しました。辞表を出したとき、上司は残念がりつつも、私の想いをよく理解してくれ、「もし気が変わったら、君の居場所はいつもここにある」という言葉とともに、門出を祝ってくれました。

机ひとつの起業でした。何のあてがあったわけではありませんが、怖くはありませんでした。

社名は、「パシフィック・フレンド」。これが数年後に、「ダイナ・サーチ」に生まれ変わります。

当初はアメリカ初のジャパニーズ・レストラン・ガイドとして寿司の本を著すなど、「価値がある」と思うことは何でもやりました。

初仕事のひとつがアメリカの文具業界の研究と文具の輸出でした。ですから、米国流通業界の研究はかれこれ30年近く続けていることになります。「ライフワーク」と呼べるかもしれません。

Project Thinking - プロジェクト・シンキング

ダイナ・サーチのManagement Principle(経営方針)のひとつでもあり、私自身、情熱をもって追求してきたことに、「プロジェクト・シンキング」があります。

「プロジェクト・シンキング」とは、ある目的が成就した形をProject(投射)し、可視化して、それに携わるチームの全員で共有した上で、そこに到達する最善のプロセスを終点から起点へと遡ってデザインしていくことを指します。

私の専門はオペレーション・リサーチですが、私が学生だった頃のアメリカというのは、まさにNASAプロジェクト全盛期のアメリカで、大学院でもとにかくこの「プロジェクト・シンキング」を基礎から頭に叩き込まれました。

ですから、今でも、例えば「パスタを茹でる」などといったシンプルなことについても、「プロジェクト・プロセス」を真っ先に考えずにはいられない、それが癖のようになっています。

ダイナ・サーチを設立したとき、日米間のビジネスに「プロジェクト・シンキング」を応用したらどんなに素晴らしいだろう!と思い、「プロジェクト・シンキング」を経営方針のひとつに掲げました。

社内で実践することは勿論なのですが、「プロジェクト・シンキング」を企業の規模を問わず他社にも広めていくことが、私の人生におけるパッションのひとつでもあります。

Project History - プロジェクト・ヒストリー

今まで大小いろんなプロジェクトに関わってきましたが、中でも特に印象深かったものに、ディズニーとの交渉があります。

ディズニー・ストアの日本進出を巡った交渉で、まったく波乱万丈、かつエキサイティングな3年間でした。

アメリカでディズニー・ストアが勢いよく出店していた当時のことで、「日本進出も検討中」という小さな新聞記事の一節に目を留めて、勢いこんでディズニー本社に電話をしたことが発端でした。

今考えると、つくづく怖いもの知らずだったと思います。しかし、なんと、ディズニーの人たちは、身も知らぬ若造の電話に真剣に耳を傾けてくれ、ディズニーの海外事業の担当者を相手に、なんとプレゼンをするところまで漕ぎ付けたのです!

地位とかお金のあるなしに関わらず、やる気のある人には惜しみなく門戸を開く、アメリカの懐の深さを感じました。

当初はディズニー側に立って、日本進出のパートナーを探すつもりだったのですが、結果的には、セゾン・グループ側の交渉代理人として、ディズニーを相手に交渉合戦を繰り広げることになりました。

結局、交渉は両社が合意できず決裂に終わったのですが、学びに溢れた3年間で、今でも折にふれ思い返します。

また、もうひとつよく覚えているのは、ネット・パーセプションという会社のテクノロジー・ソリューションを、日本に初めて持ち込んだことです。

ネット・パーセプションという名前はぴんとこない人の方が多いでしょうが、初期のアマゾンがいち早く導入したリコメンデーション・エンジンを開発した会社です。アメリカでも、「リコメンデーション・エンジン」がまだ珍しかったころの話です。

実は、私が彼らに話をもちかける前に、日本市場への導入についてもう既に交渉を始めていた会社があったらしいのですが、「あなたのところは何といっても決断が早い。もうひとつのところは、進展が遅くて話にならない」と、機転とスピードを評価してくれて話がまとまったのを覚えています。

Pro Bono Work - プロボノ活動

パーソナルであれ、ビジネスであれ、日本とアメリカの橋渡しをすることは私のパッションです。

私自身はUSC(南カリフォルニア大学)の卒業ですが、会社設立当初、UCLAで7年間プロボノ活動をしていました。

日本の大学生たちが、夏休みを利用して渡米し、アメリカの家庭にホームステイをしながら、ULCAで英語を学んだり、様々な課外活動に参加したりする・・・。そういった短期交換留学プログラムの企画、コーディネーション、そして引率めいたことまでを含むトータルな運営をしていました。

短期留学やホームステイなんて今では珍しくもなんともありませんが、70年代の当時ではとても画期的なプログラムで、応募者が殺到しました。UCLAの知名度も急上昇しました。その後日本でちょっとしたUCLAブームが起こりましたが、このプログラムがそのきっかけのひとつになったのではないかと思っています。

7年間の貢献に対してUCLAからは感謝状を貰いましたが、その感謝状は今でも私の宝物のひとつです。しかし、感謝状うんぬんではなく、プログラムに関わったアメリカ人、日本人双方のエキサイトメントを一緒に共有することができたこと、そして、アメリカ人と日本人の考え方の違い、文化の違いを実感を通して学ぶことができたことが、自分にとっては何よりの財産だと感じています。