「一番になる」はなぜ、コア・バリュー経営にふさわしくないのか?

『「ハピネス」とは旅路であり、目的地ではありません。』

上は、2011年に『ザッポスの奇跡―改訂版』を廣済堂出版さんから上梓させていただいた際に、ザッポスのCEO、トニー・シェイが寄せてくれたメッセージです。

ザッポスでは、トニーの著書の題名にもなっている『デリバリング・ハピネス』、つまり、「幸せを届ける」ことを会社のコア・パーパス(社会的存在意義)として掲げていますが、「ハピネス」ということはそれに「到達」することが目的なのではなく、つまり、「幸せであるために知恵を絞り、手を尽くすこと」、そのプロセス(道程)そのものに価値があるのだということです。

この「ハピネス」を、「企業文化」と言い換えてもまったく意味が通る、と私は考えています。

「企業文化」とは旅路であり、目的地ではない。コア・バリュー経営とは、「自分たちが志すうえでの、最高の企業文化」を胸に抱き、日々、会社の全員がそれに向けて知恵を絞り、行動することによって、社員に、顧客に、社会に愛される会社ができるのだ、という謙虚な考え方です。

「ハピネス」と同じで、「企業文化」にも「あがり(終着点)」があるわけではありません。「完成形」があるわけではなく、旅路は会社が存続する限り永遠に続いていきます。むしろ、「これで完璧」「うちの会社にはすでに素晴らしい文化がある」と現状にあぐらをかいた時点で、企業文化は衰退の一途をたどるのです。自己満足は死です。そんな例を、今までにいくつも見てきました。

会社のリーダーの人たちがよく使う言葉で、いつも当惑させられる言葉があります。「一番になる」というものです。日本だけではなくアメリカもそうですが、「一番」ということへの不健康なこだわりは一体何なのでしょう。ビジネスでも学業でも、私たちはどうやら、「一番になるのが究極のゴール」という病に侵されているように思います。

昨今、ますます注目が高まっている『働きたい会社』のランキングにしても、その「順位」に過剰に執着することには疑問を感じます。社員に、顧客に、社会に愛される職場をつくる努力を日々重ねていけば、その「副産物」としてランキングの上位にはいることも、それこそ「一番」になることもあるでしょう。そういった成果は大いにお祝いすればいいと思います。しかし、「ランキングに入ること」「一番になること」にこだわるあまり、それが「目的そのもの」になってしまうのは本末転倒だと思います。

優れた企業文化をもつ会社というのは、そもそも「競争」を念頭に置きません。他者との比較でものごとを量るのではなく、自らを常に高めていくよう切磋琢磨します。「一番をめざす」ことと「頂点をめざす」ことの違いがそこにあります。「一番」は他者との比較ですが、「頂点」は自分への挑戦です。常に高みに向かおうという旅路であり、終わりはありません。

「一番になる」「ランキングの上位にはいる」ことを目安として用いるのはいいのですが、それが目的に成り代わることのないよう、注意が必要だということです。「一番になる」という言葉の中には、「唯一無二の会社になる」「抜きんでた存在になる」「業界をリードする」などといった意味が含まれているのだと言い訳する人もいるかもしれません。しかし、言葉は現実を創ります。特にリーダーの言葉は会社の多くの人に影響を与えます。ですから、会社の目的、使命や夢を語る言葉には、リーダーはつとめて敏感になる必要があると思います。

本題に戻りますが、コア・バリュー経営は、そして、最高の企業文化の追求というものは、終着点ではなく「旅路」です。会社の皆が、高みを目指し、日々知恵を出し合い、行動していく、そのプロセスを楽しむことに意義があります。リーダーが正しい認識をもって、会社の人たちを導いていけるかどうか、それがコア・バリュー経営の成功を左右するといえるでしょう。