月刊 『コンピューターテレフォニー』: 成功事例に学ぶ顧客接点の未来像『戦略的企業文化』の作り方(下)

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「企業文化」を競争優位性を保つための武器とするには、何が必要なのか。「『戦略的企業文化』の作り方」の後編では、ザッポスやホール・フーズ・マーケット、ホテルチェーンであるジョワ・ド・ヴィーヴルといった事例をもとに、「権限委譲」「価値観の共有」「リーダーシップ」といった要素を検証する。

IBMが世界64カ国の最高経営責任者(CEO)、1709人を対象に実施した意識調査の結果、ソーシャル・プラットフォームの発展によりもたらされた「コネクテッド・エコノミー」のなかで高い業績の企業が注力している取り組みは次の3つであるという。

1. 価値観の共有を通じて従業員に権限を委譲する
2. 「個」のレベルで顧客に応対する
3. パートナーシップによってイノベーションを増幅する

ホールフーズのジョン・マッキーオープンかつ透明性が高く、人と人とが容易につながる現代社会において「従業員への権限委譲」がひとつの緊急課題として顕在してきたことは極めて興味深い。そしてこれは、「戦略的企業文化」が追求する課題のひとつでもある。  世界最大のナチュラル・オーガニック・スーパーで、卓越した企業文化を持つことでも有名な米ホール・フーズ・マーケットの創設者兼CEO、ジョン・マッキー氏(写真)は「イノベーション能力は企業の長期優位性維持の必須条件」と言う。それも、イノベーションが社内の限られた役職や部門だけではなく、至るところで毎日のように発生する環境でなくては優位性は保てない。

かつては、イノベーションといえばテクノロジーや商品開発の分野に限った言葉として捉えられる傾向があったが、今では企業の中のすべての活動に関わるものである。とくに「顧客体験におけるイノベーション」が切望されている。

そこで、“戦略的企業文化”への取り組みがどのように現場を変えるのか、店舗やコンタクトセンターに着目して事例を挙げながら探る。

戦略的企業文化の効用1:全従業員が「イノベーター」

顧客体験のイノベーションに優れている米国企業といえば、ザッポス、コンテイナー・ストア、サウスウエスト航空などが挙げられる。これらに共通するのは「現場の従業員が無限に近い意思決定権限を持っていること」である。

ザッポスのレップ(コンタクトセンターのオペレータの呼称)が、母親を亡くしたばかりの傷心の顧客に花を送った話はあまりにも有名だが、同社コンタクトセンターではこのようなサービス伝説が毎日のように創造されている。

「在庫切れの靴がどうしても欲しい」と問い合わせてきた顧客のために競合店から靴を調達して届けた話。結婚式に出席するために訪れた旅先から「正装の靴を忘れた」と慌てて電話をしてきた男性に無料で靴を配達した話など、「ザッポス」「顧客サービス」というキーワードでネットを検索すると、信じられないような本当の話が続々と出てくる。

同社の枯渇を知らない創造性の源(みなもと)は『自由裁量』にある。コンタクトセンターでは「顧客体験の創造」に関して全員が平等な権限を持っており、「顧客に喜んでもらうために何をすべきか」についてレップ自ら決断し行動できる。リーダーやSVにお伺いを立てる必要はない。

ザッポスも、コンテイナー・ストアもサウスウエスト航空も、現場に多大な権限を与えている会社に共通したルールは「最善の判断をする」「常識の範囲内で行動する」というものだ。この常識の目安となるのが、全従業員によって共有された価値観――戦略的企業文化である。

共通の価値観を持った組織の中で、「個」が自らの創造性を発揮して最善の判断をするからこそ、顧客の「個」に即したサービスが提供できるとともに「○○らしい」ブランド化された体験をもたらす。

戦略的企業文化の効用2:顧客満足を創造する現場

顧客がコンタクトセンターに電話をかける時は、何か問題が起こった時であり、怒りや不安、憤りなどといった感情を初めから抱いているケースが多い。

ザッポス社員「困難な顧客、扱いづらい顧客に遭遇したことはないのか」とザッポスのレップの人に聞いてみたことがある。彼らからは「怒りや不安、憤りのような感情は、『自分には何もできない』という無力感から来るものです。顧客が望む解決策に歩み寄って、その無力感を取り除いてあげればハッピーにすることは難しいことではありません」という答えが返ってきた。

同様な質問を複数の社員にしてみたが、答えは同じだった。顧客満足を得るためのザッポスの秘訣は、「顧客に『どうして欲しいか』を聞き、その通りにしてあげる」ことだということだ。いとも単純明快だが、普通のコンタクトセンターではなかなかできない。

というのも、それらのセンターは“企業本位”だからだ。考える基準は企業の利害であり、それを守るためにポリシーがある。ポリシーを曲げることは、意思決定権限のないレップにはできない。言い換えれば、普通のコンタクトセンターでは、画一的なポリシーが顧客満足獲得の邪魔をし「顧客を喜ばせたい」という従業員の意欲を殺しているということだ。

人というのは本質的に「他人を喜ばせる」ことに喜びを感じる生き物である。とくにコンタクトセンターをはじめとした顧客サービスの仕事を選ぶ人はこの傾向が強いと思って間違いない。

企業本位のポリシーといった摩擦要因を取り除けば、顧客を喜ばせるサービスが自ずと生まれる。そうは言っても、個々人に「勝手にやれ」というだけは“ブランド化された体験”にならないので、共通の価値観を意思決定の物差しとして統一を図る。ザッポスの場合、「顧客サービスを通して、WOW(驚嘆)を届けよ」という価値観が、単に顧客満足を得るだけではなく、顧客の心の琴線に触れる“忘れ難いサービス”創造の基盤となり、生涯続く関係づくりを可能にしている。

戦略的企業文化の効用3:意義と誇りに満ちた現場

戦略的企業文化の礎石のひとつは、“会社の使命と存在意義”の明確な定義である。社会に貢献し、顧客から応援されるような使命、従業員の心を奮い立たせるような存在意義が必要不可欠だ。

米国に「ジョワ・ド・ヴィーヴル」というホテル・チェーンがある。2001年のネットバブル崩壊と同時多発テロの煽りを受け、同社が本拠とするサンフランシスコ・ベイエリアのツーリズム市場が干上がった時、創設者のチップ・コンリー氏は「ピーク経営」という画期的な経営手法を提唱し同社を倒産の危機から救った。

ピーク経営は心理学者であるマズローの自己実現理論にヒントを得ている。マズローは『人間はより高次な欲求の充足を目指し、常に努力する生き物である』と説いた。コンリー氏はこれを会社経営に応用し、『従業員や顧客にとっての自己実現は何かと考え、その充足を目指すことにより最高のパフォーマンス(ピーク・パフォーマンス)を実現できる』と考えた。

ホテルで働く人の多くはハウスキーパー、つまり客室の清掃を担当する人だ。彼らにとっての自己実現――言い換えれば「働く意義」とは何か。その答えを見つけることがピーク経営の最初の一歩となるが、経営側の押し付けでは意味がない。

ジョワ・ド・ヴィーヴルでは2年に一度、ハウスキーパーの合宿を行っている。そこで働く意義が何かを話し合う。ある年には「もし火星人があなたの仕事に名前をつけるとしたら」という題でブレインストーミングを行った。すると「平穏の守り手」「がらくた退治人」「旅先の母親役」などの案が飛び交ったという。

ただの清掃係ではなく、ホテルの滞在客の心の安らぎを守る大切な役割を担っているのだという自覚は、ハウスキーパーの仕事に尊厳を与えている。

企業文化を育てることはリーダーシップを育むこと

企業文化とは“生き物”である。従って、食物を与え世話をしなければ衰えて死んでしまう。企業文化を育てることは、継続的かつ終わりのないプロセスだ。

また、企業文化の育成は独裁的なプロセスではなく、その成功には2種類の異なるタイプのリーダーシップが要求される。

ひとつは経営陣のリーダーシップだ。企業文化の土台となる使命や存在意義、価値観に対する心からの賛同と、それを身をもって推進していくというコミットメント(責任感を伴う約束)が要求される。例えば、戦略的企業文化を経営の中核に据えるとき、定められた価値観があらゆる意思決定の基準とならねばならない。具体的には、会社の価値観を共有できる人だけを採用し、共有できない人はどんなに有能な人材であっても解雇すべきだ。それほどの覚悟や徹底が経営陣になければ、優位性につながる強い文化はできない。

もうひとつは、働く人のリーダーシップだ。自らの行動を通して文化を盛り立てるだけではなく、同僚にも同じ感情を喚起し行動を促す。企業文化とは、組織を構成するすべての人によって作られる。言い換えれば、現場の行動、言動や考え方そのものである。概念的な理論ばかりで実践が伴わないハリボテの企業文化は無意味だ。

ザッポスのような会社は「役職や職種を問わず全員が『カルチャー・リーダー』である」というスタンスを徹底している。カルチャー・リーダーの育成に並々ならぬ力を注いでいるのもその表れだ。

通常、社員教育というとスキル重視のものが多いが、ザッポスでは、仮にスキルを教えるものでも、社内で独自のプログラムを構築し、いわゆる“雇われ講師”ではなく社員が教鞭をとる。

同社は「パイプライン」と呼ばれる企業内大学の構築に2004年から着手した。内部昇進制を推進する教育制度でもあり、エントリー・レベルで入社してきた人材を5年から7年でシニア・レベルにまで育てることを目標としている。「ザッポスの企業文化」「ザッポス社史」「ハピネスのサイエンス(ザッポスの企業使命は『幸せを届ける』ことであるため)」など、独特の科目からコミュニケーションや人事(面接・評価)などマネジメント・スキルの科目もある。一貫しているのは企業文化や価値観を基盤としていることだ。

トニー・シェイCEOは「会社にとって最も貴重な資産は、企業文化を率先垂範する人材を育てる『仕組み』である」と言っている。企業文化の育成・維持におけるリーダーシップ育成の役割を重視している表れである。

コア・バリュー経営の中核価値観に基づく「仕組み」

戦略的企業文化の形成従来型の企業文化育成は、精神論に終始することが多かった。せっかく立派な使命や価値観を定めても、それが現場に息づくことはなく、企業力の肥やしにもならずに立ち消えになってしまっていた。

戦略的企業文化は、現場で実践されてこそ実体をなし、効果を発揮するものだ。それを実現するには、価値観に基づく仕組みが必要不可欠だ。採用、教育、人事評価、成果測定指標など、会社のあらゆる仕組みを価値観に基づいて組み立て運営する。

一見、壮大な取り組みのようだが、“何をすべきか”をあらかじめ定義することで段階的にアプローチし、確実に成果を挙げることが可能となる。最終的に「こうあるべき」という像をチームで共有し、必要とされるリソース(人、金、時間)を的確に把握する。そのうえで目標に向かって皆で進んでいくことが、プロジェクトの考え方に基づいた戦略的企業文化育成の醍醐味だ。

*本記事は『コンピューター・テレフォニー』(2012年8月号)に掲載されました。
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