急場を救う機動力-ザッポス社新年インタビュー -『Delivering Happiness(邦訳:ザッポス伝説)』のキースに会ってきました!

(2011. 2. 2)

新年早々行ったザッポス本社への訪問。

実は、トニーの他に、とても会いたかった人がいました。

ケンタッキーのフルフィルメント・センター立ち上げの際に、
身ひとつで現地に飛び、急場を救った男。
そう、あの「キース」に会ってきました。

ザッポスのキース

「こんにちは。ちょっと遅れてしまったかな、申し訳ない」

ミーティング・ルームに入ってくるなり、握手の手を差し出した彼は、
『Delivering Happiness』の中のワイルドな印象とは異なり、やや無口で、
実直そうな人でした。

「『Delivering Happiness』の書評のひとつに、『(一家に一台、ならぬ)一社に一人はキースが必要!』という題名のブログ・エントリーがあって、それを読んで以来、あなたに会いたいと思っていました」

と冗談まじりに私が言うと、嬉しそうな、そしてどこかきまり悪そうな照れ笑いを浮かべました。

「あなたとザッポスとの出会いは?」とまず聞いてみました。

「トニーとは友達だったのですよ」というのが、まず、彼の答えでした。

「ザッポスの前は、ユナイテッド航空に働いていました。私の同僚が、当時、トニーが住んでいたアパートの管理人をしていて、それで知り合ったのです。時は1996年。トニーがリンクエクスチェンジを起業した頃の話です」

そして1999年、リンクエクスチェンジをマイクロソフトに売却し、トニーは「ベンチャー・フロッグ」という新しい会社を始めます。それを機に、キースはトニーのもとで働くようになったのだといいます。

「私も、それまで働いていたユナイテッド航空を辞め、新しい第一歩を踏み出すことを望んでいました。とても良い機会だったのです」

トニーの著書『Delivering Happiness(邦訳:ザッポス伝説)』の中にも書かれていますが、ベンチャー・フロッグは、ベンチャー企業にただ投資するだけではなく、オフィス・スペースや設備を提供して、駆け出しの企業が事業の育成に集中することをサポートする、ということをコンセプトにしていました。キースの仕事は、ベンチャー・フロッグがその懐に抱えているベンチャー企業のオフィス・ニーズを満たすことでした。

いわば「何でも屋さん」ですが、考えてみればこれほど大変なことはありません。経験のあるなし、得手不得手に関わらず、頼まれたことを何でもこなさなければならないのですから。その頃、ベンチャー・フロッグのオフィスには常時5社から10社ほどのベンチャー企業が間借りをしていましたが、2000年の1月、新しくその仲間に加わったのが、まだ創業したてのザッポスでした。

オフィスのPCを設置したり、ネットワーク環境を整えたり・・・。はじめは、「数あるうちの一社」としてザッポスの面倒を見ていたキースでしたが、トニーがその経営にのめりこむのと同じく、キースもその運営にのめりこんでいったのです。

頼まれたことは何でもこなしてしまう・・・。この優れた問題解決能力こそが、ケンタッキーの急場を救いにキースが送られた理由でした。

Ub|XZ~i[「2001年の6月ごろだったと思います。当時、ケンタッキーに新しく倉庫を開くということで、私はサンフランシスコから北に2時間半ほど車を走らせたところにある、ウィローズという町にいました。ザッポスの倉庫があったところですが、そこで、我々の大切な在庫がトラックに載せられてケンタッキーに旅立つのを見送っていたのです」

1、2日がかりで全在庫をトラックに載せ、送り出したばかりのキースのもとへ、トニーから電話がかかってきます。

「『ケンタッキーへ行ってくれないか』という電話でした。『いつ行けばいいのか』と聞くと、『午後の1時に出る飛行機があるから』というのです。電話をもらったのが午前11時ごろ。ウィローズから空港までは普通に運転して1時間半くらいかかります。『とにかくやってみる』と答え、そのまま、ウィローズに泊まるために持参していた二日分の着替えを持ち、空港に向かいました。ぎりぎりでしたが、飛行機に乗ることができ、ケンタッキーへ飛び立ちました」

そして・・・。ケンタッキーに到着したキースを待ち受けていたのは、何千足という靴がパレットに載せられたままうずたかく積み上げられた、混沌とした倉庫の有様だったのです。その後のキースの奮闘については、また次回。

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