ザッポスの窮地とトニー・シェイの苦悩:『ザッポス伝説』で初めて明かされるトニーの心中

(2010. 7. 19)

インタビューの時には、何についても淡々と話し、決して「苦労話」をしたがらないトニーですが、彼の本の中には、ザッポス黎明期の厳しい事実が語られていて、それは、私の心を強く打ちました。

トニーは、肩書き上はザッポスの「創設者」ではありませんが、ほとんど「出来立てほやほや」のザッポスに投資し、創設者のニック・スインマーンと肩を並べてザッポスを築いてきた、という経緯があります。

トニーは、大学を卒業してすぐに設立した会社、リンクエクスチェンジを2.65億ドルでマイクロソフトに売却して、そこから得たお金を元手に、「ベンチャーフロッグ」という投資会社を設立するのですが、当初、ザッポスは、ベンチャーフロッグが投資していた何十という会社の中のひとつにしかすぎない存在でした。

しかし、トニーは個人的にどんどんザッポスにはまっていき、最終的には自分のお金をつぎ込んでザッポスの経営を支えていくことになるのです。

トニーが経営していた投資会社、ベンチャーフロッグのビジネス・モデルとは、多くの有望なベンチャー企業に小口の投資をして、それをより大きな投資会社に紹介して、大口の投資を募るというものでした。ですから、ザッポスのケースでも、はじめに小口の投資をしておいて、後に他の投資会社に紹介して、もっと大きな資金を得よう、というのが目論みでした。

あてにしていたのは、トニーの最初の会社、リンクエクスチェンジにも投資していたセコイア・キャピタル。トニーは、リンクエクスチェンジを通してセコイアにはたっぷり儲けさせたので、トニーが一枚噛んでいる会社ということだったら、ザッポスにもあっさり投資してくれるだろう、と踏んでいたのです。

しかし、そのあてがはずれて、セコイア・キャピタルは首を縦には振ってくれず・・・。ですから、初めの4年間というのは、ザッポスはベンチャーフロッグとトニーのポケットマネーだけで運営されていたということです。

投資も受けられず、融資も受けられないザッポスは、2002年のある時、もう一カ月分の運営資金しか残っていない、という窮地に立たされたのです。そこで、トニーは、自分の持ち物であった広大なロフト・コンドミニアムを売りに出します。リンクエクスチェンジの売却から得た貯金もザッポスにつぎ込んでしまって、もうほとんど残っていない。不動産としても唯一残された財産でした。それを、ベンチャーフロッグにおいては彼のビジネス・パートナーであり、個人的には友人/ファイナンシャル・アドバイザーであったアルフレッド・リンが止めるのもきかずに、売りに出したのです。

時と舞台はネットバブル崩壊後のサンフランシスコです。どんなに値段を下げても、物件に買い手がつきません。買い手がつかなければ、ザッポスを畳むしかありません。物件が売れるのが先か、お金がなくなって、ザッポスが潰れるのが先か、トニーは、不安な毎日を送ります。

そんな時、トニーは、キリマンジャロに登りにいくんです。というのは、それが、一年も前から友達と一緒にプランしていたことだったからです。「会社がこんな大変な時に、電話も通じないようなところに行くなんてどうか・・・」と彼自身も迷ったそうですが、結局は、「自分がここにいても、心配するだけで何もできない」と悟って、旅行を決行することにしたのです。

キリマンジャロ登山の第一日目。はるばる地球の反対側まで来たというのに、ザッポスの行方に対する不安がトニーの頭を四六時中悩ませます。熱帯雨林の中を一日中歩き通して、雨に濡れ、凍えて、体はくたくたに疲れているのに寝付くことができない。うとうとしているトニーの耳元に、携帯の鳴る音が聞こえてきます。

「おかしいな、こんな山の中で携帯が通じるはずがないのに・・・」と思いながら電話を取ると、それは、不動産屋からで、ロフトが売れた、という嬉しい知らせ。それも、売却希望価格以上の値段で買い手がついたという知らせでした。

「・・・良かった、これで、ザッポスも救われる・・・」と、幸せな気持ちになるのもつかの間、朝が来て、目が覚めて、すべては夢だったことに気付く。そこで、トニーはまたどん底に突き落とされるのです。

この箇所を読みながら、トニーの気持ちが痛いほど伝わってきました。

Ub|XZ~i[リーダーとして、経営者として、「血を吐くほど辛い思い」を皆さんも経験したことがあるでしょう。会社をやっていると、窮地に立たされることが必ずあります。その時にも、自分の(そして会社の)夢を信じて、信念をもって突き進んでいくこと、つらくとも、光が見えなくても、岩に杭をこつこつと打ち続けるような辛抱強さが、リーダーには必要だと思います。

結局、トニーがキリマンジャロから帰米後、ロフトに買い手がつき、ザッポスは救われたのですが、今では、翳りひとつないザッポスという会社の生い立ちには、こんな苦労があったのです。夢やビジョンを実現するためには、楽な道などないということ。こういう経験をした彼だからこそ、「旅路(ジャーニー)を楽しむ」ことの重要性を真実味をもって語ることができるのだと思いました。トニー・シェイという人物の芯の強さ、リーダーとしての「覚悟」をあらためて実感させてくれたエピソードでした。

アメリカでリリース前にトニーに手渡された『Delivering Happiness(邦題:ザッポス伝説)』を、今、新たな感慨をもって読み返していますが、その中から、一読者として私の印象に残ったことを、これから一つひとつピックアップして綴っていきたいと思っています。

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